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面白かった本のこと

ずっと気になってた本を、ようやく借りて読んでいる。
永井玲衣さんの『水中の哲学者たち』



何かの紹介で知って気になってたのだけど、
ここまで面白いとは思わなかった。

哲学というと、何か難しいものみたいなイメージがあるのだけど、
永井さんが問いかけるのは、とても日常的なことだ。


自分とは、世界とは、生きるとは、死ぬとは、
果たしてどんなことなのか。


分かっているつもりで、分からないことがたくさんある。

「だいいち、わかる、ということが何なのかもわからない」という言葉には、しびれた。



この本の面白さを伝えるのは難しい。
タイトルにもあるように、水の中を漂っているような気持ちにおそわれる。
今までとらえていた世界が、ぐにゃりと曲がるような感覚。
それは新鮮であるのと、同時に少しおそろしい。


わたしたちは、ひとりで生まれて、ひとりで死んでいく。だがわたしたちは、世界の中にふいにあらわれ、世界とともに生きる。世界との終わらない関係の中で、他者に呼びかけられている。 


永井さんの文章じたいが、なんだか水みたいだと思う。どれだけでも飲める水。
とても分かりやすいのに、切実なことが書かれている。哲学、という今まで遠い世界にあった言葉が、永井さんの言葉によって、いきなり身近なものに変わる。
実は「哲学」は身の回りにあって、誰にでも触れられるものなのだと。


要するに、哲学は「問うこと」なのだ。
哲学対話では、いろんなひとが自分の意見を述べていく。
どんな会話が交わされるのか間近で聞いてみたい、と思う。



問いかけられたあとの世界は、なんだか少し違って見える。自分というのが何なのかも、どんどん分からなくなっていく。


深く潜れば潜るほど、どんどん分からなくなるだろう。でも、この「分からなさ」が哲学の醍醐味なのかもしれない。


問いはいつまでも終わらない。
そこに明確な答えもない。
答えのでない問いかけに、無数の考え方がある。
それを知れば知るほど、世界の輪郭は変わっていく。

問うことは、考えることでもある。
正解がないから、考え続けるしかないのだ。
一方で答え(らしきもの)は、人を思考停止にする。


いつのまにか大人になって、
いろんなことを「分かった」つもりになっていたけれど、何ひとつ分かってないのかもしれない。


そんなふうに考えると、視野が広がるような気もする。不安定に考えは揺れて、風に飛ばされそうになる。



歌人の穂村弘さんのエッセイに少し似てる、とも思った。
(と思ったら、帯を書かれてた)
世界に対する懐疑心とか、馴染めなさのくだりが似ている。なんだか安心する柔らかな文章のせいかもしれない。


たとえ問いに打ちひしがれても、それでも問いとともに生きつづけることを、わたしは哲学と呼びたい。



しかし、
美容院が哲学的、という考え方は素敵だった。
また色々な箇所を読み返してみようと思う。





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