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読書note

司書という職業柄、
普段いろんな種類の本を紹介してるけど、
読書感想文が子供の頃は苦手だった。

(小学校の頃から物語は書いてたけど、作文はそうでもなかったような)


今も、
読後の感想を書くのはとても難しいなと思う。
それでも読んだ後に、
感想を書いておきたいと思う物語はある。
読んだ直後に伝わった熱を、できるだけ残しておけるように。


それは、物語を心のなかに刻みこむ行為のような気がする。

より確かに、自分の言葉で。
そうすれば、
感じたことや余韻をずっと覚えておけるから。



最近そう思ったのは、
河野裕さんの『君の名前の横顔』という本。



冬明ふゆあきという少年と、年の離れたかえでという青年。
ふたりは異母兄弟だけれど、
楓は冬明のことを友達だと思っている。

そして、
冬明には「ジャバウォック」という怪物が見える。
ジャバウォックが現れると、
その世界にあったはずの様々なものが盗まれる。

おとぎ話のようだけど、
だんだんこれは現実でも起こることだと分かってくる。
ジャバウォックが現れるのは、
「自分の意思でーー正義感みたいなもので、あることを非難したとき」だからだ。


誰かが正義を語り、その正義が受け入れられたとき、世界は欠ける。どれだけ正しかろうが、間違っていようが関係なく、とにかく一度受け入れられた正義への反論や検証は許されなくなっていく。
(略)
ひとつの正義が決まってしまうと、別の正義の可能性は初めからないものだとして処理される。


河野さんは、画一的な正義を扱うのが上手いなと思う。
(偏見、と言ってもいいと思う)

それは、
一見分かりやすくて迎合しやすい「正義」のこと。マジョリティの圧力、というか。


ジャバウォックに盗まれると、
世界がそれごと欠けてしまう。

顔のみえない何人かが「悪だ」と決めたことが、本物の悪として世の中に広まる。そのニュースに怒りを燃やした人たちが、タップひとつで拡散していく。最初のひとつの悪意が、コピーアンドペーストで増殖する。人々はその悪意を元に熱を帯びた議論を繰り広げて、自分たちが納得できるストーリーだけを信じる。


分かりやすいス「正義」は受け入れられやすいけど、別の可能性や視点を失うことでもある。

もしかしたら、
世界は今も欠け続けているのかもしれない。

『鏡の国のアリス』で有名なジャバウォックの由来は、「昂揚した議論のたまもの」だそうだ。


今、SNSで起こっているのは、ジャバウォックなんて超常現象じゃない。
嘘みたいな魔物を持ち出さなくたって、世界はリアルに欠落していく。


現実と過去とSNSと、
『鏡の国のアリス』の世界が複雑に絡み合っていく。
中盤にはジャバウォックに名前を盗まれた少女、「アリス」まで登場する。


楓が「非難したもの」の正体、
現実のSNS上で存在するジャバウォックが、
最後明らかになっていく。


どれだけ世界が複雑で、
ありとあらゆる種類の偏見であふれていても、
見えない怪物を生みだすのは、人間なんだという事実。


どうしたところで、血の繋がりなんてものは、祝福にできなければ呪いだろう。


たとえば
こんなふうに真実がサラッと記されていて、
何度も反芻したくなる。
本当にその通りだな、と思う。


この物語にも図書館が出てくる。
(図書館が出てくる物語、好き)

不思議な世界の入り口が図書館だとしたら、
それはずいぶん素敵だな、と個人的には思ってる。



オレたちはこれからも、ジャバウォックがいる世界で暮らす。欠け続けていく世界で、それでもたまにはなにかを取り戻したり、新たに獲得したりしながら。
それはきっと当たり前で、だからここは、悲しいだけの世界じゃない。


いくつもの試練を乗り越えて、
楓は最後にそう思う。


たとえ何が起こっても、
この現実はきっと、悲しいだけの世界じゃない。


そう記された言葉に、なによりも救われるような気がした。

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