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奏でられる物語

読んでいるあいだずっと、
音楽が鳴っているようだった。

恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』

映画化もされた有名な本で、
図書館ではピアノ曲付きの読書会も開かれていて、ずっと読みたいと思っていた。

(あっという間に読了)



ほんとうに、素晴らしかった……
なんだか、アンコールを求めて拍手し続けたいような、そんな小説だった。

ずっと読んでいたいと思う小説は、たまにある。
普段あんなにも「書きたい」と思っているくせに、(そして休みの日はその衝動でいつもジリジリしているのに)
創作意欲を差し置いて、「読みたい」と思ってしまう小説。
『蜜蜂と遠雷』はあんなに分厚い本なのに、すぐに読めてしまった。読み続けていたいというか、「聴き続けたい」小説だった。


4人のピアニストが出てくる。
最初審査員に「ホコリ王子」と揶揄されるじん
スケールが大きく、スター性を兼ね備えるマサル、
「生活者の音楽」を目指す明石あかし
天才少女と言われた亜夜あや


「文芸業界とクラシックピアノの世界は似ている」というくだりもあった。
確かに「ピアノを弾く」ことと、執筆は少しだけ似てるかもしれない。
(キーを叩き続けるところや、感情を乗せられるところとか。コンクールや新人賞が乱立している理由なんかも)


読んでいる途中、コンサート舞台に立つための、血の滲むような努力と費やされた時間の多さに、気が遠くなるようだった。

それでも、
コンテスタントは「永遠の一瞬」を求めて、
音楽を鳴らせるために立つ。


塵が亜夜に語る台詞が印象的だった。

誰も聴く人がいなくても、
世界中にたった一人しかいなくても、
ピアノを弾き続けていたい、という言葉。


コンクールが進むにつれて、それぞれが自分の葛藤と向きあい、それに答えを見つけていく。
まるで天啓みたいに、自然に。

終盤の明石の台詞に、それが凝縮されていた。

なりわい、とはうまく言ったものだ。まさに業、生きている業だ。お腹を満たすわけでもない、あとに残るわけでもない。そんなものに人生をかけるとは、業としか言いようがないではないか。
だが、自分は選んでしまった。そして、その道は厳しくも他では得られない喜びに満ちている。


小説があまりに素敵だと、
映像作品は見るのをためらうこともあるけれど、これは映画もぜひ観たい。

なんといっても映画なら、
4人が舞台で神々しく鳴らした音楽が聴けるのだ。


なんだか胸がいっぱいになる。
世界は音楽で満ちていて、
それがこんなに素敵な小説になってるということが。


亜夜が自分のなかに「音楽」を見つけたみたいに、自分だけの物語を見つけてずっと奏でていたい。

そんなふうにも思わせる小説だった。


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