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見えない現実、本のこと

お休みの日、
とんでもなくボーッとしてるときがある。

普段もうっかりすることはあるけど、
休日は自分のなかの何かが外れてしまうのだ。

深く考え事をしてることが多い気がする。
現実がまったく見えていない。
だから、とんでもないことをやってしまうときがある。


今日は、
車のドアノブに日傘を引っ掛けたまま走行する、なんてことをした。


なんで気づけたかというと、
信号で停車中に、後ろの人がわざわざ窓を叩いて教えてくれたから。

教えてくれたおじさんは、きっとビックリしただろう。そんなに大きな傘じゃないけど、前の車のドアノブに日傘がかかってるんだから!
ふつうに、外れたらとても危ない。

所用で表に出たときに、車のドアノブに日傘を掛けたことを忘れたのだ。
というか、たぶん見えてなかった。

自分でも本当にビックリした。
おじさんはもっとビックリしただろう……

そう思って反省する。
そういうことが、たびたびある。


そんなふうに、ボーッとしてるものだから、
休みの日は特に気をつけなくちゃな、と思う……

なぜそんなに深く考え事をしてたかというと、
頭のなかが色んな現実でいっぱいになっていたから。

休日は、
できればずっと時間を忘れて書いていたいけど、
やらなきゃいけないことが色々あって困惑する。

そんななか、
久しぶりに吉本ばななさんの本を読んだ。
今日読んだのはエッセイ集。



ばななさんの本を読むと、
現実が整うような気がする。

ああ、このままでいいんだって静かに思えて安心する。
失敗することもあるけれど、
そういう日もあるよね、なんて肯定する気持ちになる。


何かあってダメージを受けてしばらく休んだり怠けていても、元気であればまた人のために働きたくなるのが人間というものだから、その気持ちになれるような暮らしをしたほうがいい。


こういう言葉に、
そうだよねって頷きたくなってくる。
それが、吉本ばななさんの言葉の力なんだろう。


書くことについて、真摯に向き合う言葉もとても良かった。

私はそのとき、まるでふなっしーの「ご当地キャラエレジー」という曲と同じような決心をした。
この曲の中では、ブームが去って全くみんなが見向きもしなくなったら、ふなっしーはまた小さいイベントから始めて、子供たちの笑顔を見るところに戻ればいいと歌っている。
私ももし本が全く売れなかったら、自分でネットに出して、じょじょに好きになってくれる人にまた出会っていけばいい。


長いけど、引用をもう少し。


どこにいても自分が自分でいるかぎり、書いていけばいい。

自分のペース、神様が決めたのでも、親が決めたのでもない。自分の心音、呼吸、考え方が決めたペースを取り戻すには、手を動かすことが必要だ。
手を動かすことで、体の奥底から自分だけのリズムがわきあがってくる。それに体を合わせていく。


今日は最初のカフェで話し声が気になって、
スターバックスに移動して、
やっと数ページ書くことができた。

物語が進んだときの、高揚感がとても好きだ。
最初は、休みだから一行でもいいから進めようという気で書く。

書き始めたら、
その一行が次の言葉を連れてくる。
そしてひとつのシーンになって、
そこでやっと安心する。

今はメインストーリーとサブを交互に書いていて、休みの日はどちらかを必然的に書くことになる。

ひとつシーンを書き終わると次にいきたくなるけれど、だいたいその辺りで自由時間は終わってしまう。
現実に帰る時間が来るのだ。
だからあきらめて席を立つ。


吉本ばななさんは、
平凡な日常がいちばん幸せだ、ということをエッセイに繰り返し書いていた。


好きなことができるって、
それだけで神様からのご褒美みたいなものだろう。

そんなふうに思いながら、
日々に感謝して生きていきたい。


そういえば、
現実から解離するのは、
HSPの特徴でもあるなぁって思いだす。
(私は中程度のHSPだったから)



でも、日傘を引っ掛けて走行するのは、
二度とやらないようにしよう……


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