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「僕と彼氏の、七日間」


↑この前のお話。

この前の前の、お話。


消えた鍵などは最初から存在せず、この病院の特別個室はそもそも、関係者しか入れない瞳孔センサーでのみロック可能なのだ。むしろ、彼に対してこんなにも無防備に鍵を開けてしまったのは自分の心そのものだと、天瑪は思う。

それなのに、病気の自覚症状が全くないままに一週間も入院検査を言い渡され、こうして三日目の今日も、見目麗しい銀髪碧眼の「婚約者(仮)」と顔を突き合わせ、ランチを共にしているのは何故なのだ。

キッカケは、天瑪がベルリンにてとある事件に巻き込まれ、額と右目上に軽い火傷を負ったのが原因だ。本当に大した事などない、少し水ぶくれになる程度の怪我だった。

一応、軍規定として憲兵隊の事情聴取を受けたのだが、助けてくれた少年の口調から「ツタンカーメン家お抱えの、お庭番集団『蒼の四騎士』」の犯罪者粛清だったと理解した天瑪は、誰にも真実を告げられなかった。

もし、もしも自分がこの目前で桃の皮を手で優美に向いている、リーデンゲイツァー・フォン・ラグランジェ侯爵と、仮の契約上とはいえ婚約関係でなければ、もしかしたら事件のあらましを話してしまっていたかもしれない。

だが、去年の夏と現在では、まるで自分を囲む情況が変わった。いや、余りにも変わり過ぎたという表現が相応しい。天瑪・メーライシャン少佐は、この「蒼の君、ブルーハイネス」、アルファノイド貴族の間では有名な武人かつ貴公子であり、「天王星の猛禽王、静・ツタンカーメン」と双璧と謳われる人物の婚約者なのである。そしてまた、更に複雑なことに天瑪の直轄上司は、その「猛禽王」の親友の忘形見であるソーヴィ・キャスバリエ大佐。

肩を並べる名家でありつつ、太陽系ならびにコロニー群の軍事勢力を二分する両家を身内としてしまったからには、おいそれと軽薄な言動や行動をするわけにはいかない。


「……食欲が無いか?」
「ん? ああ、違くて。桃がいい匂いだな〜って」
「母上が、卿の体調を気遣って送ってきて下さった。かつては和国の王族に振舞われていた品種だそうだ」
「高そう……。お義母さんに御礼の電話しないと」
「その必要はない。昨日から父上と木星へバカンスに出かけてしまわれた。また、あちらから土産のリクエストを聞くメッセージが来るだろう」
「侯爵のご両親、本当に仲良しだよね。……まあ、そうでなかったら、六人も子供なんかいないか」


汁で濡れた両手をペーパータオルで拭うと、ラグランジェ侯爵はフルーツフォークで刺した桃を美しいガラスプレートに乗せて、天瑪へ差し出す。

「母上はな、本来なら余を孕った時に体調が万全ではおられなかった。しかしどうしても、クスィーかオメガを産まなければと。渾身の覚悟なされていたが、残念ながら生まれたのは余だった」
「……そうなんだ」
「アルファの男ばかり、六人も。このままではラグランジェ大公家が潰れてしまうと。口には出さないが、今もご心痛持ちであられるのだ」

たっぷりとした果肉が瑞々しい果物は、まるで天国の妙薬のように喉越し甘やかに流れていく。

「でもまあ、そのお陰で……、僕はあんたに出会えたわけだし、その、良かったんじゃないの」
「そう思うか?」
「……侯爵は? そう思ってないの?」
「いや、母上には本当に感謝している。卿に出会えた」
「でしょ」


検査入院がこんなに長引いている理由は、クスィーセクシャルとして男女両方の生殖器を体内に持つ天瑪が、長らく子宮や卵巣、精巣の精密検査を放置してきたからだ。半年に一度程度だが軽い出血を伴う生理現象もあり、そしてそれは不定期で、偏頭痛や腹部の痛みを覚えると翌日から始まる。長くて四日間程度だが、その期間はクスィーアン特有の直観力や運動神経が鈍る為に、肉親以外に話した事はない。


「メーライシャン少佐には、わずかですが血圧と血糖値の上昇が見られますね。せっかくですから、全身検査をしてしまいましょう」

子供の頃から長く診察してくれている壮年のアルファ女医が、にこやかにそう推奨すると、天瑪本人が断る前に。

「それはありがたい。我が婚約者は有給休暇の未消化分が多く溜まっております。最上階の個室を自分名義でお借り致しますので、どうぞよろしく」


などと、このアルファ・エリートがあっという間に入院手続きをしてしまい。そして今日に至る。


クスィー専用研究施設と併設している大学病院、その最上階エリアは高齢アルファやその伴侶であるオメガが数人入院しているらしいのだが、天瑪は彼ら彼女らと会ったことがない。万が一、相手がヒートを起こし発情期モードに入れば、いくらクスィーセクシャルの天瑪でも、少なからず影響を受けてしまう可能性がある。

ラグランジェ侯爵はほぼ毎日、統帥本部での軍務を終えるとこの病室に直帰して来る。婚約者が入院したとの理由で午前中のみで上がる日も多く、こうして二人は江ノ島を近くに眺める病室にて、連日ランチを共にするのだ。

「何か食べたいものや、着替えで必要なものは?」
「ん〜ん、特になし。侯爵もそんなに毎日来る必要ないよ。疲れてんだから、たまには家でゆっくり昼寝でもしたら良いのに」
「アルファにはそのような仮眠は不要だ。戦時でもない限りは」

夏用の第二略式軍装を纏った「蒼の君」は、優雅に立ち上がって「少し、仕事の電話をかける。失敬」と、横滑りのオートドアから長髪を翻して出て行きかける。

「あ、ごめん。やっぱり柚木シトラスティーが飲みたい」
「了解した。パッションフルーツカスタム、氷抜き、ショップ増しで良いか?」
「オッケーです」
「オッケーだ」

庶民下町生まれの自分に、上級貴族の彼氏がどんどん染まっていくのが恐ろしい。ん? あれ? 彼氏? 彼氏なのだろうか僕らは。

地上38階のホスピタルタワーからは、鎌倉や葉山、横須賀と、湘南エリアの眺望が青く広がっている。天空にはもくもくと広がる綿菓子雲。

「そうだ、来月は星間飛行隊の臨海ミーティングがあるんだ」

隊員ではないけど、うちの婚約者さんの参加もできるか、ソーヴィ大佐に聞いてみよう。きっとあの人も満面の笑みで「オッケー!」と答えてくれるはず。

天瑪とラグランジェ侯爵が初めて同じ家で過ごす、暑い季節が近づいていた。


【僕と彼氏の、七日間】終わり




今回も一時間半での執筆でした。最近、白目部分が出血していて、目薬で治るんですが……。ほぼ一日中iPad Proと向き合ってるからなあ。

先日は耳鼻科に20年振りに行ったので、暑さが落ち着いたら歯医者と眼科に行こうと思います、とにかく今は暑すぎて無理!!







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