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映画『マックイーン:モードの反逆児』

2019年/製作国:イギリス/上映時間:111分
原題 McQueen


予告編

予告編予告編(海外版)


レビュー

 (リー)アレキサンダー・マックイーン。(以下「彼」)
 滅ぼされると知りながら、戦いに挑んだデザイナー。
 人の心の光と闇を、服とショーとで表現し、自ら去ったアーティスト。
 モードの反逆児。

 通常のファッションショーにおいてモデルは、服を際立たせるためにマネキンのような存在になりきり、感情と表情を殺しランウェイをリズミカルに、機械的に歩く。
 そこには服の持つ美しいデザインや色、流行の方向性、観る者を高揚させる欲望(「美しいものを観たい」「欲しい」「自分もモデルのようになってあの服を着こなしたい」等)はあっても、さしたる物語は無く、欲望以外の感情を動かされることは余り無い。
 ゆえにその空間は、どこか人間性の希薄な、なにかとても奇妙な感覚にて満たされ、その中をモデルや服の動きだけが音楽を伴い淡々と流れてゆくこととなる。

 しかし彼の残したいくつかのショーには、それとは異質な稀有の輝きがあった
 モデルたちは、彼の意図した感情を宿しながら彼の服を身に纏いランウェイを歩むことで、マネキンから人間へと蘇生した(ときにそれが狂気に魅入られた姿を露呈していたとしても)。
 また、無機質な機械や物体等は生命の鼓動を付与され、躍動した
 ショーの鑑賞者たちは、普段は目を背けている(または全く気づくことのない)「醜」や「愚」の中に蠢(うごめ)く「美の別の顔」を鼻先に突きつけられ、自らの本性を炙り出されて、それを半ば強制的に直視させられた(しかし そうされたことに異様なまでの快感を覚えてしまった者も少なくなかったに違いない)。
 そして何よりもそこには、現実と地続きの物語が脈打ち、感情の雫を滴らせながらリアルな姿で観る者を見つめ返していた

 彼曰く、

 「服は美しい物だが、外には現実がある。現実に耳をふさぎ、世界は楽しいと思う人に、現実を伝えたい

 「日曜のランチをした感じでショーから帰ってほしくない。最悪の気分か、浮かれた気分で会場を出てほしい。どっちでもいい。何も感じなきゃ僕の仕事は失敗

 「年を取って仕事を辞めるなら、誰も働けないように会社を焼き払う。引継ぎは無理だ。僕のショーのテーマをどうやって考える? 僕のショーはすべて私的なものなのに」

 「この世に存在しない場所を探している。この上もなく美しい場所を。僕の頭の中の世界が、現実に存在するとは思えない」

 それらの言葉は、彼が本物のデザイナーでありアーティストであったこと。そして恐ろしく高いプロ意識を宿していたことを物語る。
 しかし彼の世界の本質は、それらとは別の

 「海に親しみを感じる

 「自然に囲まれていたい

 (樹齢400年を超える木に対して)「夜はライトアップしてひらめきをもらう

 という、ごくありふれた言葉の中にこそあったように思う。

 彼は年に十数回ものショーを行うという殺人的なスケジュールをこなす状況の中で、麻薬や脂肪吸引に手を染め、病に侵され、大切な理解者を疎遠な関係のままに失った。
 肉体的にも精神的にも追い詰められ、狂気に身も心も浸食されつつ、しかしそれでも自らが自然の一部であるということから目を背けずに、ピュアな感覚を惜しげもなく曝け出して前進することを試み、仕事において結果を積み重ねていった(その「積み重ね」は「死へのカウントダウン」でもあったけれど・・・)。
 その姿は、「究極の美」を追い求め、勝算の無い戦いへと赴いていったようにも、「永遠の愛」という幻のオアシスを求め、果ての無い砂漠を彷徨っていたようにも見えた。

 本作は、大いなる野心と研ぎ澄まされた感性とを武器に、この世で最も生命感の希薄な場所のひとつ「ファッションショーのランウェイ」に、削ぎ取った自らの命の欠片を種として蒔き、造花ではない本物の花を咲かせようとした稀有な挑戦者の、儚くも愛おしい、勇気に満ちた物語。

 『McQueen』

 黄金の蛾や花々に縁取られ、咲き誇る生花で彩られたスカルの向こう側より、海のような青い瞳でこちらを見つめる視線のその先に、私たちは束の間、彼と共に、何を観るか


追伸
 彼は内側と外側への視野をかなりの速度で広げていったけれども、その両方の視野を広げてゆけばゆくほどに、中間の存在は消えてゆき、最終的にはその中心にて危ういバランスを際どく繋ぎとめていた数本の大切なピンを無くして(亡くして)しまったとき、彼は完全に支点と制御を失い、急激に加速した内と外へ広がりゆく力に、その身を引き裂かれ、飲み込まれてしまったように感じる(もちろん原因はそれだけでは無いけれども)。
 「普通」という凡庸で安定した感覚から抜けられない者達の方が、確実に長生きすることは出来る。しかし表現を追求する者は必然的にそこ(同じ場所)には留まってはいられない習性を持ち・・・
 彼の生き様と最後に、稀有の探求者であり表現者である一人の天才の「素晴らしさ」と「業」を見た。

追伸2
 映像表現と相性の良かった彼は、映画からインスピレーションを得ることも多く、スタンリー・キューブリック監督作品の『バリー・リンドン』から影響を受けたコレクションも発表していて、それはもう映画同様、とても奥深い表現でした。
 『バリー・リンドン』を偏愛している身としては、その相乗効果も相まって、そのコレクションが大好きなのだけれど、彼の人生が映画の主人公と同様にジェットコースターな人生であったという共通点等も考慮すると、「好き」以上の何かを深く考えさせられるのである。


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