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抜けぬ太刀

さて、快刀乱麻を断つ、などと言いますが。
これはよく切れる刀で、複雑にからまった麻を切るようにして、複雑に絡み合った問題をものの見事に解決せしめることを例えたものであります。

こうした名刀になぞえるように頭の冴えた人っていうのは、どこにでもいるもんでして。あたしなんかのなまくらじゃあ、こうはいきません。
歳を取るとなんというか、社会の仄暗いとこだとか、人の汚いところだとか。まあいろいろなものを憶えて参ります。そこから臆病風に吹かれていては、何かにつけて冴えない。若い時分を見る影なく気持ちが老いていくわけでございます。
ここにも、そんな男がひとりおりました。

村の庄屋を務めているその男は、商いが軌道に乗って、たいそう裕福な暮らしをしていました。男に商いの才があったのでしょう。貧乏な百姓の末男としてこの世に生まれ、物心ついた時には丁稚に出され。そこからうんと努力して、一代で財を成したわけです。

そうは言っても、高座にふんぞり返っているのも性に合わん。そうした気概でしたので、まめまめと方々の寄り会に顔を出していきます。まあ、一緒になって水っぽい酒を酌み交わしては、どんちゃん騒ぐのが楽しかったのでしょうな。
時に私財を売り払ってまで村民の面倒を見て回るので、番頭たちは折々泡を吹いて倒れていたそうな。
まあ、そんな気風の良い男でしたので、村の年寄衆から若者たちに至るまで、それはもう庄屋の旦那、庄屋の旦那としてよく慕っておりました。

しかし、男には可愛いひとり娘がおります。女房を早くに亡くした男は、目に入れても痛くないと言い切り、それはそれは娘を愛でておりました。
蝶よ花よと育てられた娘は、まあまあの世間知らず。しかし、亡き母の面影を継いでこれまた大変な器量良し。
年頃を迎えたとなると、みっつ先の町からお声が掛るほど、数多あまたの男たちが見合いを申し出て参ります。しかし、そこは溺愛の父。娘にばれぬようにして、何かと理由を付けてはそれを断り続けておりました。
そんなある日のこと———

「これ、娘よ。最近何か、隠し事をしてはおらんか?」
「なんのことでございましょう?」

娘は惚けて見せるが、父の眼光は鋭い。ここでばれては叶わないとしらを切り、手元の石楠花を活けていく。あてくしはお花の稽古で忙しゅうございます、と。

「日々お前のことを見ておる父のまなこなのだ。そうやすやすとは誤魔化せんぞ。お前、炭焼きの男と逢引きをしておるな?」
「お父様、また同心探偵を走らせましたね?そんな半可臭いことでお役人さん動かすなって和尚様から叱られたばかりでしょう」
「ええい、父にとっては一大事なのだ。して、どこまでいったのじゃ」
「ええ…そういうこと実の娘に聞きます?まあ、すごく優しくしてくれましたけど」

娘ちゃんはどこへデートに行ったのかなー、と聞きたかっただけの庄屋。返す刀で切られた傷心はあまりに大きかった。“商いの快刀“の二つ名で馳せた、かつての面影はどこにもない。
その日の晩、庄屋は蔵から大樽を持ち出す。それを馴染みの居酒屋へ持ち込み大盤振る舞いを始めたかと思えば、ついでとばかりに自らも泥酔した。

「旦那、庄屋の旦那ぁ!なんかえらい御馳走になっとりますが、何かあったんですかい?」
「———聞いてくれるぅ?」

庄屋の話を聞きつけた魚屋の主人は、これまた酔っていた。ぽつぽつと庄屋が心労を吐露すると、話は大げさな方へ担がれていく。

「旦那、そりゃあいけねえ。あの炭焼きんとこに来た若いやつでしょう。どうも戦場いくさばになった隣の国から逃げてきたって話だ。若ぇくせに杖なんか突いて、どうにも影のある感じがするんでさあ」

あー、娘ちゃん、そういう人好きになりそうだなあ。娘の部屋に貼ってある浮世絵には、淡麗恥美な男たちが刷られていた。葬式のような着物で華奢な身体を包んでいる。あと、異様なまでに顎が細い。

「とはいえ、そいつはえらく真面目に働くもんだから、炭焼きんとこの女将さんが気に入っちゃって、置いといてやれってんで。いいですよ、自分、女将さんは叔父の又従兄弟なんでさあ。あっしのほうからきっちり話つけときますから!」

翌日。酒飲みの話が真面まともに進むわけがない。そんなことを考えながら、二日酔いに効くとされる漢方を口に含んでいると、娘が飛んできた。

「お父様、あんまりでございます!こつこつと準備しておりました、駆け落ち用の家財道具を火に掛けるなんて!」
「えぇ、あの人たちそんなことしたの…ていうか駆け落ちって何」

吹きこぼした漢方薬を払いながら、方々で起きている過激派の活動に増して頭が痛くなる。火とか扱うと鬼のなんとかさんが飛んでくるんだぞ。それと、最近どうりで桐箪笥や鏡台の類が家から消えてたわけだ。牛車もずっと使用中になってたし。

「ええい、ともかく。どこの馬の骨ともしれん男との婚姻なんぞ、わしは認めんぞ!」
「えー、じゃあ…お父様とは絶交いたします!」

そこから数日、娘は部屋から出てこなかった。おーい、と障子の隙間から声を掛けても返事がない。もしや自刃?と肝を冷やしたが、女中連中は普通に食事を運び込んでいたし、なんなら中からきゃっきゃと楽し気な声も聞こえる。
我ながら、快刀も今やなまくらか。お菓子のおかわりを取りに向かう女中を引き留め、庄屋はため息交じりに一計を案じた。心の刃を研ぐようにして。

「それで、これはどういうことでございますの?」

庭の敷地を囲むように屋台が並び、多くの村人たちが思い思いの御馳走に舌鼓を打っている。中央には土俵が据えられており、急拵えにしては立派なものだ。寺子屋の子供太鼓も加わって、なかなかに調子がよい。振る舞いの酒も用意させ、まあお祭り気分だ。
庄屋は満足感に浸りつつ、娘の質問に答える。

「先般説明したようにだな、見合いだ」
「見合い」
「世間には星の数ほど男がおるのだ。しかし、その有象無象から探し出さねばならぬ。お前に相応しい男をな」
「相応しい男」
「そこでだ、こうして村一番花婿大会を開催して、わしが出した難問を解決せしめた男なら花婿に選んでやらんともないということだ」
「選んでやらんこともない」

どうだとばかりに説明する父の話を頭の中で繰り返してみるが、娘としては根本的なところがまずもって理解できない。どうしてこうなった。
とはいえ、話を要約すれば、だ。炭焼きの彼がこの大会で勝ちさえすれば、父を黙らせることができるはず。そのように理解した。
辺りを見渡せば、大勢の血気盛んな男たちが息を巻いている。川向こうの大きな街まで話が及んでいるというのか、呉服問屋の銅鑼息子まで駆け付けていた。
しかしながら、炭焼きの彼の姿は、そこにない。娘は少し小さくなって、事の成り行きを見守った。

時は頃合い、と拍子木が鳴る。このあたりで一番声の通る番頭が土俵に上がった。相撲で決めるつもりなのかと思えば違うらしい。

「さあさあ、皆々様、本日はようこそお集まり頂きました。急遽のご参集に厚く御礼申し上げます。さて本日はお日柄もよく———」

番頭の抑揚づいた口上に、庄屋が指を回して急げの合図を出す。

「えぇ———はい、じゃあ、なんか締まりませんが、村一番花婿大会を開催いたします。花婿候補になる条件は、実に明朗。今回、旦那様がお出しになられたひとつの“問題”を解いていただくだけでございます」

番頭はそう言って合図すると、控えた手代はやうやうしく一振りの刀を持ってきた。立派な拵えに収まったそれは、土俵の上に据えられた刀掛台へ静かに置かれる。

「この刀は、我らが庄屋に長らく伝わる流星刀にございます。夜空に瞬く星が運命を以てこの地上に落ち、まさに神の使い給うた隕鉄を用いて拵えましたるが、この一振り」

こんな感じでいいですか?番頭が振り返ると、庄屋はうんうん、と頷いてみせる。

「しかしながら、この神刀。それに宿いし神の力に依って、自らのあるじを選びます。そうです。この庄屋家の当主となる素質のある者だけが、この刀を抜けるのです」

はぁ———?
娘は思いっきり怪訝な顔を父へ向ける。「お父様もこれ、さくっと抜いて見せたのでございますのよね?」
「お、おう、まあな」父親はなんとなく娘の視線に合わせることができない。

土俵の上では、早速にして方々の力自慢たちが流星刀なるお題の鞘柄と格闘を始めていた。
しかし、庄屋は知っている。これは何をやっても抜けない未熟の刀だ。自分も相当に試してみたから間違いない。

かつての話、まだ死んだ女房と出会う前だ。ひとり行商に出ていた折、土砂降りの中で行き倒れている男を介抱してやったことがある。
気を戻した男はいくさを始めたの国から来たと語った。只の気紛れで助けてやったにも関わらず、男は大そう感謝し、一振りの刀を差し出す。

「この一振りは流星刀という。星の海よりり墜ちた隕鉄を以て拵えし業物だ。しかし今を以てなお未熟なれど、今の拙者はこれしか持たぬ。いつか必ず仕上げに参るので、どうかお納め頂きたい」

よく見れば、鞘も柄も手の込んだ細工が凝らしてある。隕鉄がどうのは眉唾だったが、まあ二束三文の足しにはなるだろう。庄屋は無銭タダでは受け取れないと、幾ばくかの銀を男に渡した。すると男はまた大そうに感謝する。
見送る背中は何度も振り返り「仕上げはいつか必ず」そう言い残して、また戦場の国へ帰っていった。

問屋に戻った若き日の庄屋は、どれひとつ試してみるかとその刀に手を掛けてみる。武芸の嗜みはなかったが、男子たる者、みなチャンバラごっこに憧れるのだ。腰に差してみれば、なかなかどうして、様になっているではないか。

———しかし、抜けない。

流石に刀を抜くくらい誰でも出来るだろうと高を括っていたが、どうにも抜けない。精一杯力んでも、捻じって引いて、試しに押しても。どうやったって抜けないのだ。
終いには牛と馬に双方縄を括り曳かせてみたが、それでもびくともしない。そんな馬鹿な。
方々尽くしてはみたが、粗品を掴まされるも商いの修練。そう考えて土蔵の奥に放り込んだ。

以来、すっかり忘れていたのだが、まさかこうして役に立つ日も来るのだな。庄屋は次々と土俵の上で挫折していく花婿志望の男たちを眺めながら、ぼんやりと遠き日を思い出していた。

「お父様、やっぱりこれってさあ———」

隣に座る娘の視線が痛い。父の意図に気づいた娘もまた、居心地悪そうにもぞもぞしている。「しっ、黙っておれ」今さらばれて共犯とされては敵わない。娘も変な汗をかきながら、にこにこと高座の上で行儀よく手を振るので精一杯だった。

「さあ、次の方!次の方はおりませぬか?どうぞ名乗りを上げられよ!」

何も知らない番頭が盛大に煽っていくが、方々一巡してしまったのか、ぐったりと息を切らしてへたり込む男たちから上がる声はない。
もう終宴か、番頭が締めを整え始めたその時。門の向こうからやってきた若い男が、高らかに名乗りを上げた。

「我は名も無い炭焼き!東の戦国よりこの地へ来た!そこに控えるは隕鉄より拵えし抜けぬ刀か!」

野郎、今更何しに来やがった!いきり立つ花婿候補たちだったが、番頭はこれ幸いとばかりにそれを制した。「よし、この男で最後にしよう」番頭が煽り口上と共に促すと、若い男は杖を突きながら土俵に上がった。
「ほら、お越しいただけましてよ!すんごいイケメンでしょ?!」ばしばしと庄屋の肩を叩く娘は大興奮。庄屋の苦虫顔をよそに、ひとり大盛り上がりだ。

杖を傍らに置いたその男は、一礼して流星刀を手にする。何やらカチャカチャと弄り始めたかと思えば、柄を持って高々と掲げて土俵を降り、なんと庭石めがけて叩きつけた。
大事な刀に何をする!番頭が駆け寄ると———柄が鞘と取れている。

観衆たちからどよめきが上がると、それは次第に騒めきに代わっていった。それはそうだろう。刀が折れたとするならば、鞘の中にあるはずのものが、ない。そこにあるはずの上身はそこになく、ただ空洞が広がっているだけだった。

「やい、庄屋!これはどういう了見だい?説明してもらおうか!」

呉服問屋の銅鑼息子が食ってかかる。それを口火として花婿候補の男たちは庄屋に詰め寄った。それはそうだろう。抜いてみせろと言われた刀に、肝心の刀身はついていなかったのだから。
窮した庄屋がぐうの音も出ないでいると———若い男は声を上げた。

「お集まりの衆、今しばらくお待ちいただきたい!」

若い男は傍らの杖を手繰り寄せると、それに巻かれた粗末な布を解いていった。樫の垂木が出てきたかと思えば寄木のようだ。男はまたそれを器用にばらしていく。
そして、其処に現れたるは、一筋の刀身。その平地は幾重もの波紋が広がり、切先は自ら鈍い光を放つようにして輝く。それはまさに吉兆を告げる流星のように。

「この刀身は鍛冶であった父が、生前最後に打ったものです。戦乱の最中、その拵えを失ったと聞き及んでおりましたが、まさかここで相見えるとは」

男は器用に柄を組み付けると、拾い上げた鞘にその刀身をぴたりと収めてみせた。はばきは鯉口にぴったりと重なり、一分の狂いもない。
はてさて、これはどうしたものか。若い男にそれを慕う娘。息を巻く花婿候補は収まりが付かない。
それを一部始終見ていた村の和尚がやってきて、こう言うのです。

「反りの合わない刀身を差したところで、鞘がそれを受け入れることはない。どうだろうか、これはひとつ元鞘に戻すということで」

★ー・ー・ー

それからというもの、若い男は庄屋のもと、鍛冶職人として日々腕を磨いて参ります。
傑出した業物が世に出回りますと、お上に知れるまでそう時間はかかりゃしません。名声が名声を呼び、遂に男は四条中鍛冶宗遠しじょうちゅうかじそうえんの名を拝命するに至ったのでございます。

まあまあ逞しいその娘はと言えば、親父の商才も継いでいたのでしょうね。若女将として立派に庄屋を切り盛りし、その傍らで甲斐甲斐しく男を内助の功で支えます。
一端いっぱしとなった男女に、隠居の庄屋もついには観念。ふたりの新しい門出を快く祝うのでした。

さて、その後日。晴れて夫婦めおととなったふたりは、身なりを正して和尚の元を訪ねます。

「あの日、貴方の助け舟がなければ今の私たちはなかった。どうにか御礼をさせて頂きたい。何か私たちに出来ることはないでしょうか?」

和尚は写経の手を止めて、若い夫婦にこう言うのです。

「いやなに、ワシは大したことはしとらんよ。むしろ、あの星でできた刀を仏間に祀っておくがよい。刀が結んだ御縁なら、それは『抜けぬ太刀の功名』じゃ」

~出典~
抜かぬ太刀の高名
https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/122.php

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