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流れ星の名前

 今日の夜は少し冷える。日付が変わる頃には、もっと外気温が落ちていくだろう。彼女はできる限りの防寒装備を整えて、いつもの屋上に上がった。
 かつて幼い日、この場所で、今は亡き父から手ほどきを受けた天体観測にすっかりのめりこみ、高校生となった今でもこうして夜空を見上げては撮影と観測を繰り返している。
 そんな彼女の夢は自分が発見した彗星に名前を付けることだった。

 ある晩、屋上での観測を続けていると、不思議な星を確認した。極めて明るい。ここ数日撮影した画像を用いて移動天体の分析を進めたところ、この星は未知の彗星であると判断できた。
 本当かと何度も自分を疑ったが、再計算を繰り返しても同様の結論に達する。彼女は今までの人生の中で最も興奮していた。ついに自分が彗星に名前をつけることができる!
 先を越されてはたまらないと早速、国際天文学連合(IAU)への報告のためインターネットに接続するが、繋がらない。固定回線どころか、携帯電話のネットワークも落ちているようだ。こんなことってあるか!

 これだけのインフラが止まっているのだ。さぞ大きなニュースになっているだろうなと居間に戻りテレビをつけたが、これもまた映らない。停波しているようだ。
 おい、と誰に言うわけでもなく声を上げた瞬間、停電した。窓から外を眺めても視程に収まる範囲すべてが真っ暗であり、かろうじて月明かりだけが丘の下に住宅街があることを認識させている。
 彗星の影響。それ以外に考え得る明確な原因は知らなかった。彗星は時に地球接近時に強力な電磁波を放ち、現代社会のインフラに様々な影響を及ぼす可能性がある。
 彼女もまたこの実体験は初めてだったが、いざ現実の身に降りかかると薄ら恐ろしいものを感じた。

 兎に角、観測データを添えてIAUに直接コンタクトを取らなくては。天文台なら、何らか通信手段を持っているはずだ。この町の天文台は小さな商業区画を抜けた先、丘の上にある。ここからならそう遠くない。
 かろうじて音声らしきものが聞こえている小さなラジオを自転車に括りつけて、彼女は天文台に向けてそのペダルを漕ぎだした。
  
 街は想像以上に混乱していた。遅い時間にも関わらず、人々は部屋着と思しき恰好のまま、建物から外に出て道路上で屯っている。また、信号機も何ら反応を示さず、交差点を中心に交通は麻痺していた。
 そんな中、ハンドルに括りつけていたラジオがヒトの言葉を放ち始めた。
通信障害が一時的に回復したのだろうか。聞き耳を澄ませていれば「そんな馬鹿な!」
 ペダルをより強く踏み込むには十分な理由だった。

——— 原因は当局で調査  隕石は国内の地表に落下 る可能性が高と判  現在政府にてその対応を慎重に検討し
——— どう 国民の皆様におかれま ては  落ち着い 行動を心が て

 下半身に痛みを感じながら、何とか丘の上の天文台に到着した。そこにはすでに顔なじみの職員たちの姿があり、既に非常回線を通じて関係各所と連携を開始しているという。
「私も参加させてください!」
 混乱した事態の中で、学生を交えることに抵抗もあっただろう。渋い顔をする職員に食い下がっていると、奥から小太りの所長が出てきて、手招きしてくれた。
 本当に現場が混乱しているということを実感できる。

 円卓に囲まれたオンライン会議の場では、IUA だけでなく、政府機関、警察・消防、軍事当局まで繋がれており、実務者レベルでの協議が進められていた。政府役人が軍事担当者を問い詰めている。

≪状況はわかった。それで、つまり、君たちはアレを撃墜できるのかね?≫
≪はい、目下長官経由でミサイルの使用と、防衛活動の許可を頂けるよう申請中です。≫
≪それは私たちのほうで処理をしている。まさか既に軍を動かしてはいないだろうね。≫
≪はい、心得ております。しかし、正確な射撃管制には移動式レーダー車の展開と観測が不可欠でありまして、一刻も早い部隊展開が≫

「待ってください!」

 場が静まり返る。こちらの声も聞こえていることが確認できた。そして我慢できなかった。

「彗星が地球に衝突するというニュースは正しいと思えません。自分が分析したデータでは彗星は地球表面をかすめるだけと確信しています」

 モニター越しの政府役人がこちらを睨む。

「むしろ、高高度で迎撃すれば、軌道が変わって破片が落下するリスクすらあると思えるのです。私の取ったデータはここにあります。どうか再考願えませんか?」

≪君は誰だ。何故君のような若者がこの席にいる?≫

 会議室から放り出された彼女は、怒りと悲しみで涙を堪え切れなかった。
天文台の屋上から見上げる冬のオリオンが大好きだった。そのベルトに重なるようにして、さらに輝きを増した彗星がいる。もはや肉眼でもはっきりと観測できるようになっていた。
 次の瞬間、夜空を左右に切り裂くようにして、サジタリウスの矢が空を登っていく。

 程なくしてミサイルは彗星を破壊した。空に現れた火球は一瞬町を昼間のように照らし、すぐに消えていった。
 超高々度の物体に対処できる兵器の存在に驚愕しつつも、彼女を空しさが襲った。政府の判断として、彗星の撃墜は既定路線だったのだ。
 その直後、彗星はそれを慰めるように大量の流れ星が空を明るく染める。分断された細かい破片が、大気との圧縮熱を以てその最後の輝きを見せてくれているのだ。
 世界を覆い尽くすような流れ星に、心が吸い込まれていく。

 彼女が空に向かって呆けていると、建屋の中から顔なじみの職員が大声を上げる。

「おい君!ここは危険だ!大きいのが燃え尽きないで何発か落ちてくるぞ!」

 え、と声を上げた次の瞬間、彼女の身体は大きく吹き飛ばされた。

 ★-・-・-

 彼女が目覚めると見知らぬ天井がそこにあった。病院だった。
 いつの間にか着替えさせられたのであろう患者衣の下を恐る恐る捲った。多少の擦り傷はあれども、どうやら四肢稼働に影響するような怪我をしている訳ではなさそうだ。
 彗星が落ちてきて怪我をした、という経験は今後の人生でそこそこ誇れるのではないかと考えてしまうあたり、天文ファンはやめられないのだと思う。

 程なくドアを叩く音が聞こえた。慌てて患者衣を整え、どうぞと声をかけると、老齢の男性が現れた。
 扉を閉めながら「こんにちは」と声を低い声でこちらを会釈する。身を包んだ軍服姿は明らかな高官なのだろう。背筋のしっかりした立ち振る舞いは誠実さを物語っていた。
 どうも、と返答すると、自身が今回の彗星撃墜事件で軍属関連の指揮を執っていた者だと名乗った。

「提供頂いたデータは見事なものでした。生憎私には撃墜を止めることができませんでしたが、直前でミサイルの稼働要件を修正できました。君のおかげで爆発の影響を最小限に抑えられたのです」

 と、笑顔で手渡されたものは小さな小箱、入っていたのは勲章だった。

「これは今回新たに制定された特別なものです。宇宙とその国土を守った功労者に叙勲されます」

 高官は続けた。

「これに名前を付けていただきたい。」

彼女は勲章を見つめた。それは星型で彗星のように尾を引いている。
彼女は思わず言葉を発した。

「流星勲章。」

高官は頷いた。

「よい名前だと思います」

星の名前も、勲章の名前も、それらは等しく。人に依って名付けられ、受け継がれていく。

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