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レンズの先に

 私は天体望遠鏡の修理職人として働いている。小さな工房を構えて、個人や団体からの依頼を受けている。
 仕事は好きだが、本当は天文学者になりたかった。幼い頃から星や宇宙に興味を持ち、夜空を眺めるのが好きだった。しかし、家庭の事情で大学に進学できず、修理職人として働くことになった。それでも仕事を通じて様々な天体望遠鏡や光学機器に触れることができるのは幸せだと思っている。
 でも、時々自分の夢を諦めたことに対する後悔や不満も抱えてしまう。

 初夏のある日、いつものように工房で積まれた仕事をこなしていると、店頭で「ごめんください」と人の呼ぶ声が聞こえる。
 珍しいことだ。昨今はインターネットやメールで依頼を受けて、現物は配送されてくることが多い。こうして人が訪ねてくることは希だった。

「はい、いらっしゃいませ。」

 久しぶりに店頭へ出ると、若い女性がそこに立っている。

「こちらで望遠鏡の修理をされているとお伺いしたのですが。」
「はい、承っております。どのようなご依頼になりますか?」

 こちらなのですが、と女性は足元に置かれた箱に視線を移した。ひと抱えほどある長尺の木箱だ。手提げの麻縄が付いているとはいえ、彼女の細腕ではさぞ重かったことだろう。

「知人から譲っていただいたのですが、どうしてもピントがぼけてしまって。古いものなので修理できるかもわからないのですが、見ていただきたくて。」

 そう言って彼女は木箱を開けて、依頼品を取り出した。

「承知しました、少し拝見させて頂きますね。」

 私はその望遠鏡を見て驚いた。それは非常に珍しいものだった。木製の三脚に金属製の筒体、レンズもガラス製だった。製造された年代やメーカーも不明だったが、どう見ても昭和初期以前のものだろう。

「ははあ、これは。」

 接眼レンズを取り付けて覗いてみると、確かに像がぼけている。

「いかがでしょう?私もあまりこうしたものに詳しくなくて、扱い方が悪いのかもしれませんが…」

 訝しげにこちらを伺う彼女の問いに、私は反射的にこう答えていた。

「おそらくレンズのカビと汚れによるものだと思います。開けてみないと断言できかねますが、概ね修理は可能だと思いますよ。」

 修理を引き受けてしまった。
 後に彼女の提示した予算からして、明らかに過剰整備であることはわかっていたが、私自身の興味を抑えられなかった。
 店の前でお手間をかけます、よろしくお願いします、と丁寧に振り返ってお辞儀して帰っていった女性の期待に応えられるかどうか。私は早速その依頼品を分解し始めた。

 レンズやミラーなど部品ごとに慎重に外していく。
 工業製品とはどれもメーカーとその年代で特色があるものだが、いずれにも該当しない。しかしながら、ひとつひとつの部品はどれも非常に丁寧な造りであり、精巧で、とても手間の掛かったものだった。
 高鳴る胸を抑えながら、二重になった筒体を外していくと、滑りに何か違和感がある。
 慎重に筒を滑らせていくと、一枚の紙が出てきた。紙自体は黄ばんでボロボロだったが、そこにははっきりと読める形で文字が書かれている。
 これは手紙だ。
 こんなことが書かれていた。

———この望遠鏡は私が作ったものです。私は天文学者ではありませんが、星や宇宙が大好きでした。この望遠鏡で見える星空は素晴らしいものです。あなたもそれを楽しんでください。

 私はその手紙の主が誰なのか知りたくなった。これだけ丁寧で精巧な望遠鏡を個人で作る人物だ。彼はどんな人生を送っていたのだろうか。どうしてこの望遠鏡を作ったのだろうか。そして、どのような経緯でこの望遠鏡が今ここにあるのだろうか。

 私はインターネットで調べ始めた。その望遠鏡に関する情報はほとんど見つからなかったが、その手紙の結びに記された署名から少しわかることがあった。
 デジタル図書館に収蔵された古い雑誌や書籍によれば、彼は戦時中に活動していた素人天文家だったらしい。自分で望遠鏡を作って観測しており、その成果を雑誌や新聞に発表していたこともあった。
 彼は特に太陽や月の観測に力を入れており、太陽黒点や月のクレーターなどの詳細な図や写真を残していた。また、彼は日食や流星群などの現象にも興味を持ち、その記録や感想も書いていた。

 私は眼前に佇む彼の作品に震えた。
 彼は天文学者ではなかったが、星や宇宙への情熱と探究心は誰にも負けなかった。彼は自分の目で見えることを信じて、自分の手で望遠鏡を作って、自分の言葉で伝えようとした。
 それは私がかつて抱いていた夢と同じだった。

 数日後、修理完了の知らせを受けた女性は、再び工房に訪れた。

「お手間をお掛けしました。大変助かりました。」

 そう言って彼女は何度も礼を言って頭を下げた。

「いえいえ、とても珍しいもので、私も楽しく仕事させていただきましたので。」

 私が領収書を書いていると、彼女は、あの、と何かを言いたげにしている。

「いかがされましたか?」

 彼女は、実は、ひとつご相談がありまして、と続けた。

「私は小学校で教師をしているのですが、夏休みに近くの山で林間学校を予定していまして。この望遠鏡の修理をお願いしたのも、そこで子供たちに星を見せてあげたいと思ったからなのです。ですが、私には上手く使いこなせる自信がありません。もしよければ、なのですが、子供たちにレクチャーをお願いできないでしょうか。」

 夜空に輝く無数の星々。故郷を離れて山奥のキャンプ場で寝泊まりする子供たちの瞳は、わくわくした気持ちを隠しきれない。
 先生は子供たちを集合させると、星空観察会の始まりを宣言した。今日は、特別なゲストが来てくれました。と紹介された私は、笑顔で挨拶した後にこう付け加えた。

「この望遠鏡は私が修理したものです。私は天文学者ではありませんが、星や宇宙が大好きでした。この望遠鏡で見える星空は素晴らしいものです。みなさんもそれを楽しんでください。」

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