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薔薇とロケット

 父はかつて東側で天才と呼ばれた科学者だった。彼の技術力は東側の政府から高く評価されていたことは、幼い日の私も肌で感じていた。父はまさに私の誇りだった。
 一方で、父は科学者として政府の抑圧に日々反発していた。高校で数学の教鞭をとっていた母が流行り病で急死したことをきっかけに、父は一人娘である私を連れて西側へ亡命することを決意した。

 西側に亡命した父は西側の当局機関から大いに歓迎され、その奇才のような研究開発能力を以て再び科学者としての地位を築いた。
 その背中を見て育った私もまた先端工学の道に進み、民間企業に就職。今では新進気鋭のロケット開発者として日々充実した職務に努めている。

 しかし、私にはひとつ心配事があった。父は数年前から精神病院へ入院している。
 担当医師のカウンセリングに依れば、昨今の新しい冷戦構造の打開に向けた開発競争に、それこそ精魂尽くしてその身を投じていた。我々では計り知れない、その重圧に依るものだろうという見解だった。

 そんな近年の父はロケット開発に執着し、自分が作ったロケットで宇宙へ行くのだという奇妙な計画を持っていた。そのロケットは特異な新技術を多数投入し構成された画期的なものであったが、同時に大変危険で不安定なものでもあった。

 当局としてはこれを投入するのは時期尚早としてプロジェクトを凍結し、開発局を閉鎖。自身の計画の遂行に向けて半ば奇人と化していた父を精神病棟に軟禁するに至った。
 私も父の計画を止めようとするが、父は私を裏切り者と罵り、絶縁した。

 私は思い悩んだ末、父の計画を止めるために裁判所に訴えた。父の研究資料、ロケット本体と関連する資産を没収しようとした。
 しかし、それは叶わなかった。父は強硬に抵抗し、何者かの手引きを経て病院から脱走したのだ。

 ほどなく、病院からの通報を受けて、私は父の脱走を知ることになる。
「そんな馬鹿な!」
 瞬時に、父は自分のロケット基地に向かい、打ち上げ準備を始めるであろうことは容易に想像できた。
 事情を知った警察や職場の同僚と共に現場に急行した。
 間に合え!間に合え!焦る気持ちを抑えながら車のハンドルを握り、アクセルを深めに踏み込んでいく。

 その時、助手席に放り出されていた衛星電話が唐突に着信音を鳴り放った。
 父だ。父からだ。慌てて道路脇に車を停めて電話を繋ぐと、父は高揚した声で私に伝えた。
「新型ロケットは打ち上げ成功したぞ!どうだ!間違いなく動作している!」
と言い、言葉にならない怒号を上げる。フロントガラス越しには勇ましく上昇していく父のロケットが見えた。

 しかし、その直後。薄暮の空を二つに切り裂いていた先端は強い光を放った。
 次にふっと熱線を感じたかと思えば、直後に大きな爆発音に包まれた。
 私は父のロケットが爆発したことを目視で確認したのだ。

 程なく私が現場に到着した頃には、もぬけの殻だった。かねてより閉鎖されていた施設だ。発射シーケンスは父ひとりの手によって実行できるよう改修されていたのだろう。
 建屋の入り口付近に乗り捨てられた車を見つけた。ボンネットを見ればワイパーに手紙が挟んである。
 父の筆跡だ。長らく父の自筆を見ることはなかったが、懐かしさが込み上げて胸が苦しい。
 手紙にはこう書かれている。

———すまない。このロケットは宇宙には行かない。
 私も、もうこの歳だ。どうしても妻の眠る祖国に帰りたかった。
 この新型ロケットなら、東西のどんなイデオロギーをも超え、如何なるミサイルですら迎撃できないだろう。
 私は妻の墓に薔薇の花束を添えたい。愛に不可能はないことを此処に示す。
 君もよきパートナーと出会い、もし母となることがあれば参考にしてほしい。
 君といつか祖国で逢えることを。

 父は知らなかった。
 父の搭乗したロケットのペイロードには、強力な、極めて殺傷性の高い兵器が積まれていたことを。東西を跨ぐ過激派組織によるものだ。
 彼らは冷戦構造の最終局面化を狙い、今回の病院からの脱走劇もそのテロリストの手引きがあってこそだ。

 父は知らなかった。
 父のロケットは機体の欠陥がもたらした爆発ではないことを。西側某国が自国領空内を離脱する前に撃墜したものだ。
 国家としては、自国の意思に反する無用な緊張を煽る行為を是正したに過ぎない。

 そして、父は知らなかった。
 私が研究試作しているロケットは、事実上の次世代超音速ミサイルであるということを。父の最新鋭ロケットを破壊したのは、当局が放ったそれであり、研究成果通りに機能を果たした。

 私は手紙を握りしめると、現地入りした警察と同僚に背を向け、嗚咽を殺して泣いた。

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