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知性の活性化のためには、奴隷意識から解放し、自分の中心に自分を戻すこと。

自分に自分でチャネリングして相談してみたのですが、
この日は厳しいことを言われました。

「必要なことをちゃんと人に伝えるためにどういう知恵を使うべきか」と問うてみて
「奴隷意識を脱却しなさい」と言われたこと。

あなたが奴隷意識を脱却しないでどうすんのよ、と。

そう言われてみれば。
私自身も、新人の時、会社で希望した部署に入れず、
飯を食うために諦めて妥協したときにはじめ、

人生というのは誰かの歯車になって当たり前、
そういうもんだと思って諦めの連続でした。

「飯食うために仕方なく」と言って、自分を無理矢理納得させ、
めでたく社会の歯車の一員、奴隷と成り下がった。

その延長線上で「奴隷意識」が染み付いてるんだと。

現状の内側に引き篭もる「奴隷意識」

自分に対してチャネリングをやっているが、
それゆえ自分のエゴが入っているかと思いきや

自分が想像しないような回答をもらえるということもあり、
自分で自分に聞いてみる価値はあるのかなと感じているこの頃です。

自分で自分のことを聞いているので雑音はあろうが、
着実に自分が痛いと思うところを突いているので。

奴隷意識とはなんぞや、という話になると思うのですが、
まぁ要するに上の為政者から言われるがままに日々の仕事、
ルーティンを会社辞めるまでこなすようなことを言う。

いつも同じ満員電車に乗って、いつも同じ人といつも同じ仕事をして、
どんな無茶振りだろうと言われたことを文句一つこぼさずこなし
家に帰る時もいつも同じ満員電車に乗って、
家と会社しか見ないような日々。

これは定年になってからようやく束縛から解放されます。

気がついたら、定年後の金を確保するために必死こいて働き、
定年後の余生の自由のために働く、

ただただ何も考えず黙々と社会の歯車で収まって終わる、
本当は誰かにとって変わられる仕事でしかなく自分の保身を図っていく、
そんな日々が続いていくのです。

気がついたら定年後の自由な時間と
土日祝日だけが楽しみな人生に成り下がってしまう。

毎日の仕事のストレス発散のために飯をバカ喰いして
酒を浴びるほど飲みまくって、
暇さえあればゲームにのめり込む。

ただただ奴隷のように同じことをやり続け、現状の内側の世界にこもってしまう。

それが、サラリーマンというものが現代の奴隷制と言われる所以でしょう。

奴隷意識の高さが、人生の冬の時代を作る。

おそらく満員電車に乗っている多くのサラリーマンが
「自由になりたい」と思っていることだろう。

そんなサラリーマンの心の弱さを見透かしたかのように
いろんな儲け話があるけど、どれもこれもが中身が薄く
奴隷生活を抜け出るに至らない。
もし儲け話のどれもがうまくいっていたら、
満員電車なんてとっくに東京から無くなってるハズだ。

あなたが「私もあの人みたいになりたい」と感じる人が、果たしてどれだけいる??

奴隷根性丸出しの人間を見て
「私もあの人みたいになりたい」なんて思うわけないだろう。

「自分を生きる」って、言うほど楽でないのが、世相からもうかがえます。

ただ、自分で「自由になる」と決めることはできる。

形而上学に基づいて構築されたヒーリング(自分の心の癒し)やディビネーション(占い)、
果てはイニシエーション(儀礼)でその鎖を解き放つきっかけを作れるわけです。

形而上学に基づいて構築された「あなたは自由だ」
と気づかせてくれるツールはいくつもある。

そこで癒しが終わった後に、
自分で「言うほど自分は不自由じゃないかもしれない」と気づくだろう。

あとは「あなたが自由になるかどうか、あなたが決めて」というところになる。

知恵を剣にして、自らを縛る鎖をかっさばくのだ、と。

終わりに

奴隷生活に違和感を感じていて、
自力で足掻いてもどうにもならないのなら
きっと自分の知性のみでは、これ以上は難しいのでしょう。

奴隷意識を抜け出すためには、自分の中心に自分を戻すこと、
そしてまだみぬ仲間に出逢って知性を磨き合うこと。

あなたを必要とする真の仲間に出会って、
自らの知見に磨きをかけること。

自分の中心に自分を戻し、自分と統合することによって
初めて自分の知性が、点と点だったものが、線になる。

奴隷意識を辞めない限りは知性が活性化しません。

奴隷社会の中では、本来使うべき知性が
どんどん死んでいく一方です。

奴隷意識を辞めれば見えてくるものもあるでしょう。

奴隷意識から自らを解放しない限りは、
自分の精神レベルにおいて冬シーズンから解放されないだろう。

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