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「勝ち組」「負け組」の概念から抜け出すには?

あるとき「ブロイラーと人間の子育ては何も変わらん」というふうに降りてきた。

要するに食われるためだけに生まれ、
50日間しかない一生をせまっ苦しい鶏舎で過ごし
ただただ食肉加工されるその日までに飯と水を取り続けるブロイラーと

ただただ国に税金を納め、どこかの企業の奴隷として与し続ける人間。
子育てと言っておきながら税金を忠実に払い、
誰かに与し続けることをよしとするものを育てるのが「教育」。

ブロイラーと一緒にされるのは流石にどうなんだと思いながら
人間としての生活を振り返ってみることにした。

そこに「幸せ」というものがなかなか見えにくいことに気付かされた。

「勝ち組」と「負け組」にそれほど大差ないブロイラーたち

ブロイラーについて言えば、食用として解体されるまでの
与えられた50日間を乗り切った「勝ち組」だけが
無事に食用として我々人間の食卓に届く。

ブロイラーとはいえ50日というのは赤子、ヒナの状態でしかない。
50日といえば生後2ヶ月経ったかどうかという歳月でしかない。

つまり若鶏であるうちに一生をまっとうするしかないのが
ブロイラーである、ということだ。

ただただ食用のために、50日の雛鳥である間に超え太ることを強要され、
狭っくるしい鶏舎で運動不足になってしまうので
自分の体重を支えきれず自力で起き上がれない個体もいる。
それを仲間に起こしてもらえることもない。

50日間の生を全うできずに生き絶えていくものも少なくなく
弱った個体は食用として全うできず、ただただ無情に廃棄されていく。

「一応健康にみれる個体」だけが優秀なものとして生き残り、
屠殺場で解体され、私たちの食卓に送り込まれる。

ことブロイラーに関していえば「勝ち組」も「負け組」も
そんな大差ないように思える。

50日しか生きる時間を与えられず、その中での結果が
「50日生き残って食用に解体される」か、
「50日持たずに人知れず生き絶える」
この二通りしか人生がないのだから。

人間の「勝ち組」と「負け組」。「勝ち」が「幸せ」?

人間の一生はブロイラーより長い。
今どき人生100年なんてすら言われる。

その長い一生の中で、学生時代から勉強で勝ち続け、出世戦争で勝ち続けたものが
上層部となって、奴隷の中で奴隷を取り仕切る立場になる。
出世戦争で負けてしまうと、ただただ奴隷のように使われる立場で終わる。

あるいは「ルックスがいい」「高収入」みたいに
恋愛感情を満たす条件を持つような、人気の高い個体は
早々に結婚したりするだろう。

これが「勝ち組」と言われる個体に当たる。

一方で「負け組」と言われる個体はどうなるか?
他者から見て恋愛感情を満たされない個体は見向きもされず、婚活に流れゆくし
仕事ができず使えない個体はクビになって転職活動で見向きもされず、
あるいは仕事をする気力がなくなった個体は自ら引きこもりの道を歩み、
自分の人生を生きるということを諦める。

「不細工」「ブス」な風体を持つ個体のように、
同じ人間の中でも、まったく見向きもされない個体はいる。
50日間の生を全うできず打ち捨てられたブロイラーのように
大したフォローアップもない。

ただただ毎日死んだように仕事をするしか生きがいがなくなる。

こうなると「勝ち組」があたかも「幸せ」かのように思える。
しかし承認欲求などを満たして出世したり早々に結婚したところで
必ずしも幸せな人生とは限らない。

多くのものは平日の満員電車で、50日経ったその時点で
屠殺場に運び込まれる、自らの死を悟ったブロイラーのように、死んだ目をしている。

結婚をしても良き妻、良き母であろうと思いつつ、どこか満たされない人生を送り、
結果として離婚が増えている昨今の事情だ。

帰る家はまるで鶏舎のような狭っくるしいアパートだ。

こうした都心の事情をみるにあたって、
ブロイラーと人間の、一体何がどう違うのか?とすら思う。

終わりに

ブロイラーは逃れようとどれだけ抵抗しても
人間に屠殺される運命から逃れることはできない。

ブロイラーと人間が違うのは、
「自分は神なんだ」と気づいたら、
人間の場合は狭っ苦しい鶏舎から逃れられることが叶うということか。

その意志を持つことが大事だし
その意志を持つまでに大変な時間がかかるが。

「勝ち組」「負け組」を決め合うマトリックス(仮想世界)を抜け出すことが
社畜から抜け出す唯一の花道である。

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