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「友達」がたくさんいれば人生は「充実」するのか

「これまであなたが出会ってきた人たち中で、本当にあなたを愛してくれた人はいない」

そう指摘してくれた友人がいました。

「あなたはお金のために利用されていただけ。
 自分のゴールを目指すにあたって何が必要なのか?
 お金という価値観でつながらない、真に真心でつながるリレーションシップである」

そういったことを言いたかったのだろう。

「愛とは何か」という問いに辿り着くのだと思う。
それは薄っぺらな男女愛とかじゃなくて、
リレーションシップのことだとは思っているが。

「充実」とは無縁の人生

「充実」しているかどうかで言えば贅沢を言っているのかもしれませんが、

私にしても「充実」しているとは感じておらず
どちらかといえば「不満足」と感じます。

なにしろ会社なんぞとっくに辞めて

「お金は必要な時に入ってくる」という境地に入った起業仲間たちと違い

いまだにお金の仕組みに囚われているのがまず、そう。

お金という問題で見ても
「お金は必要な時に入ってくる」という境地で割り切っていれば

とっくにライトワーク100%で生きているはず。

また、自分の背中を預けられる友人恋人がいるわけでもなく
いつ何時、常に孤独であるといえばそう。

友達がいない私というのは、友達がたくさんいる人からすると
単なる異常者にしか見えないだろう、

そんなわけで「充実」している人から見ると
私という人間は「人として穴が空いている」

「足りないところだらけ」にしか見えないのではないか。

「友達がいない」ということが
「人として塞ぎ用のない風穴を作ってしまった」と言えるのでないか。

満ち足りない人間関係

私でいうと友人が皆無な状態が、軽く5年以上は続いています。
学生時代だとか会社員時代とかそんな時代の感覚で言えば

そういう状態を「寂しいやつ」

「大の大人になってそんなの恥ずかしい」というのかもしれません。

それで寂しいだのなんだの、感慨が湧くかといえば、別になんとも思いませんが。

占星術的にいうと「冥王星」的な邂逅が皆無ということなんだろう、
社会人始めの頃、あるいはフリーランスになる手前の頃のように

強制的な自己変革を強いられることこそあったものの

自分を刺激させられるような邂逅が
「友達」を通して得られることがなかったと見てもいい。

起業時代に500人の「友達」を作ってきた頃もそうでしたが、
ただただ形だけSNSで「友達」になるだけで

線香花火レベルの刺激はあったにしても
根本的な変容を促す「冥王星的な刺激」がない。

学びで刺激し合える仲間もいなければ
行動において変革を促しあえる友人もいない。

学が深く、知性に「哲学」を感じられたのはほんの一握りの層だけ。

私の人生を振り返って人間関係で「充実」した感覚がないのが、
そのあたりにあったのだろう、

私にとってたくさん出会ってきた「友達」というものが
「冥王星」に感じなかったのが全てなんだろう。

たくさんの「友達」を通して、人間関係を楽しめる素地がなかったことが
「充実感」をもたらさなかったのだと思っています。

終わりに

人がいれば楽しめるのか、それで人生「充実」するのか。
まぁ交流会のような場所が楽しめるようであれば

たくさん人がいても苦にならないかもしれないが。
占星術的に言っても私に割与えられた素質が

人が多い場所で人と繋がることがモットー、という特質でもないので。

それにつけても「友達」は選ぶべきだとは思います。

もしアンバランスな人間関係を作ってしまったら
それをリセットするようなことも起こるでしょう。

しっぺ返しって思うかもしれませんが見直しは大事なことなので。

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