「意識高い系」の教えを凌駕した「男の友情」。

誰も尊敬したこともなければ
誰も友達だと思ったこともないこの私は
仮初でも「友達」ができたとしても長続きすることはなかったし

どちらかというと厄介者として遠ざけられることの方が多く、
人生で家庭でも会社でも居場所を感じることはなかった。

そんな傲慢で身勝手極まりない
自分の両親ですら尊敬したことのない私が、
人生で初めて尊敬した人間がいた。

中途の「使えない危険人物」

彼は会社で当初は「使えない」というだけでなく
「危険人物」の悪評もいただいていた。

私は彼についてをそんなにいうほど「危険人物ではない」
という意見を押し通していても。
「危険人物」の悪評をもらっていたというのは
それは私も一緒だったからだ。

今いる会社での悪評をもらっていた自分と
重ね合わせたこともあってのことだろう。

最初は単なる「同情」でしかなかった。
単にグチを吐き出せる仲間が欲しかっただけだ。
彼を助けようとかそんなふうに微塵も思っちゃいなかった。

当時の私は会社での評価を盛り返して「仕事ができる側」にいた。
だから、そんな悪評立っている、切り捨てられる手前の中途社員など
放っておくという選択肢もあった。

私も当初は使えない上に危険な人間だと聞いていたので、
腫れ物を触るように接していた。

彼の肩を持つようであれば
社中における自らの立場を危うくしかねないと思ったからだ。

他者を通して見た自分

だけどなんだろうな、どういうわけか彼を放って置けなかった。
私も彼と同じような立場で、会社で悪い噂が立ってしまって
腫れ物扱いされたことがあったからだろうが。

彼には誰も近寄らなかったし、
仕事で彼とうまく行ってる人間もいない。
つまり彼は孤立していたのだ。

中途採用の人間は一度会社で立場を悪くすると
名誉挽回できる仕事力を示さない限り、もう居場所を失ってしまう。

そうやってクビになっていく人間を何人も見てきた。
彼もそういう「ウチの会社あるあるの使えない中途」の一員でしかなかった。

私はどういうわけか彼とコミュニケーションをとることにしたのだった。

そうしたかった動機が、今思えば自分も会社の人間関係に悩んでいたから
彼をその悩みの吐き出し先にしたかったのだと思う。
だから彼にはなんとかして自信を付け直し、立ち直って欲しかったのだろう。

そのつもりでしかなかった彼との関係性が
いつの間にかお互いを成長させ合える関係性になった。

4、5年続いたものがそれで、ある時になって
袂を分つことになってしまった。

だけどこれでよかったんだろう。
ずっと頼ってばかりでは自分の成長も止まってしまう。
お互いにとって、それでよかったんだ。

人間関係の整理をしたこと


この友人と完全に縁を切る前後で起きた出来事が起業塾であった。

人間関係の整理のことの発端としては、
たくさんのセミナーに参加して、
たくさんの人たちと会話したこと。

順繰り学びを進めていっているうちに
なんだか自分の足で歩けてないのでは、と感じるスクール生もいたし、
困ってる人に対してのソリューションが偏りあると感じる人もいた。

アセンションすればどんどん人生の道が切り開けるはずなのに
なんで意識高くなれるセミナー出てるはずなのに
野良サラリーマンとさほど変わらない、
むしろ酷いくらいのレベルの意識なのが気になってしまった。

同じ受講生に話しかけても、
なんだか表現しようのない違和感ばかりだった。

意識高いセミナーでなくて学びのしない一般人を
小馬鹿にするような感じが私の気に障った。

それが半年、1年続くこともあった。

「高い金払ったんだからアセンション期待してるぞ」

くらいの感じでないだろうか。

現実の面倒ごとを後回しにして、意識だけ高くなって、
辛い現実をなんとか超越しようとする。

アセンションしまくった人間が、
まったくアセンションの世界に没入しない人間よりも酷いという有様。

アセンション進めればなんとかなるだろ、
という思想の強い脳筋連中に嫌気がさした。
元々ジプシーの人も多かったからというのもあるだろう、
しかし自分の足で歩けない人生にいったいどんな意味があるの。

終わりに

私を一番成長させてくれたのは意識高い上昇系民族でなく
なんの変哲もないただのサラリーマンのおっさんだった。

彼がどん底で失意にいた時期と、自らを輝かせて帰ってきた時期、
その両方を知っている。

人の成長過程をほぼ生で見てきたと言える。

人は大きく変わるというのを見せてくれた。

彼との成長物語を、私はとても誇りに思う。


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