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「他人に興味を持てない」という心持ちにどう立ち向かうか??

人間関係でなんらか齟齬があってアドバイスを求めたら
「他人に興味を持て」と言われる。

しかしそれができなくて困ってる。

こうしてみると他人に興味関心を持つというのは
思ったよりもかなり重厚なテーマだなと思った。

模範回答の一つとして心理カウンセリング行くことが挙げられるが
それ以外の生産的アプローチをなんらか考えたいと思った。
自力で何とかできるアプローチがあればそれが1番良い。

今回は「他人に興味を持てない」というのは心持ちにどう立ち向かうか?
という考察である。

「他人に興味を持ちなさい」と言われる真意

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さてあなたは人間関係において
誰かとのコミュニケーションなり
うまくいかずすれ違い・確執とかがあったりすると
「他人に興味を持ちなさい」と言われたことはないだろうか?

その真意はどこにあるだろうか?

結論から言えば「人の好き嫌いをなくせ」ということだ。

なぜなら興味対象に当たる人が
あなたと趣味嗜好が近い人なら
「その人に興味を持て」って言われることはない。

「他人に興味を持て」をド直球で言えば
「あなたが大して好きでもない人を好きになりなさい」
と言われたものだとおきかえればわかりやすいだろうか。

あなたが興味持てるタイプの人の「守備範囲」が狭いのよ、
という指摘に他ならない。

特定の人との人間関係の軋轢へのアドバイスで「他人に興味関心を持て」は的確??

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「他人に興味を持って、人の好き嫌いをなくしなさい」というのを踏まえた上で。

ある特定の人との人間関係の軋轢などに悩む人に対しての
アドバイスに往々にして「他人に興味を持ちなさい」というのがある。

それは自分視点で好きでもない人と
本心はやりたくなくても仕事上どうしても
やりとりせざるを得ない時に起きた軋轢だと想定してだ。

個人業を営んでいるとクライアントがつかないと商売にならないので
どうしたってクライアントとコミュニケーションが必要になる。

はたしてそれは人間関係の軋轢で悩んでる人に対して
ピンズドで的確なアドバイスなのだろうか??

自分が好きでもない苦手な人に
無理矢理興味を持つというのは困難である。

私もその方法を知らない。
「他人に興味を持つ」というのは的確な課題かもしれないが
人間関係の軋轢対策としては
ふわっとしすぎている印象を感じるであろう。

仕事という舞台であてがわれる同僚の大半が「苦手な人」

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あなたのアドバイザーはあなたのことをしっかり見てる人なのだろうか

あなたが受けた「他人に興味を持ちなさい」いうアドバイスは
あなたが出くわした人間関係の軋轢と
同じ悩みを抱えたからこそのアドバイスなのか?

あなたにアドバイスをくれたその人は
自分が好きじゃない、苦手な人に対しても興味を持てたのだろうか??

「他人に興味を持てないのは、その人が好きじゃないからです。
好きでもない人を好きになるには、あなたならどうしますか?」

と聞いてみたらいいと思う。
それで「訓練が必要」「興味関心を持とう」と言われたら
そのアドバイザーとの関係性を今一度考えるしかない。

私が人間関係におけるコミュニケーションの齟齬で軋轢を生んだ時
アドバイザーにアドバイスを求めたことがあった。

人間関係で上手くいかん時どうすれば良いか求めた。

その時のアドバイスが私の中で伝説の一言である
「他人に興味関心を持とう」だった。

ことあるごとに何度も言われてたので
そう言われた時はもう何も返さずあてにするのをやめてしまった。

当時の私と言えばアドバイザーが主催する
月一の勉強会でも同じクライアント生とも距離を置いてた。
そんな有様からだろうな。

好きでもない人に興味を持つというのは
これまで産業医に相談したり
心療内科に通院したり休職かましたりしても
上手い具合改善しなかった。

みんなしんどいのだろう。誰かと仕事してる以上
人間関係の問題というのは誰しもが
どうしたって避けられない至上命題だからだ。

そしてコトはふりだしに戻る。

社会的関心が薄い「スキゾイドパーソナリティー障害」

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「他人に興味を持てない」って
なんらかの障害だからでないか?

実際に「他人に興味を持てない病気」があるのかどうか調べてみた。
「スキゾイドパーソナリティー障害」というのがあるようだ。

社会的関心が薄く、孤独を選ぶ傾向が特徴とする障害とされている。

外界への関心が薄く、どこかしら居場所のなさを感じる。

スキゾイドになる原因としては
両親の過干渉ないしは非干渉、母子関係の不安定さ、
あるいは外界でのトラウマなどが考えられるという。

過去の私を振り返ると学生時代はスキゾイドの傾向があった。

スキゾイドの項目に書いてあるように外界に興味がなく
自分を表現しようとせず受動的
家族だろうが同年代の誰かだろうが
徹頭徹尾誰かと馴れ合うことを嫌っていたからだ。

しかしそれは「人の好き嫌い」があるだけで
スキゾイドっぽい性格でしかないのかもしれない。
アスペルガーや自閉症を疑った時もそうだったのだが………。

時間がかかったものの他人に興味が持てたという人は
少なくとも障害ではないと考える。

人の人格を作り出す大元の原因たる
家庭環境というのは複雑なものだ。

ほんのちょっとでも社会と自分にずれがあると感じると
それをなんらかの障害であると感じさせてしまうほどにだ。

「興味を持ちたい」その人は、あなたが「共存したい」人か?

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人はなんらかの形で共存関係を持ちたいと思う人に興味が湧く。

興味を持ったということは
あなたがその人となんらかの形で「共存したい」という意思表示だ。

たとえば「アイドルの追っかけ」みたいなものや
自分の勘違いによる一方通行な感情であったりもそう。

その共存関係が
「アイドルの一ファン」「片想い」
「ビジネスパートナー」「親友」「夫婦」
とか色々呼び方があるわけで。

共存したいと思わない人には興味がわかない。
それはごくごく自然なこと。

共存したい要素が何一つ感じられない人に
興味関心持てってのは苦行以外の何物でもないのは
「他人に興味を持ちなさい」と言われたあなたが
よくご存知なことではないだろうか?

会話したくない、あるいは会話しようがないのであれば
一挙手一投足を確認するほかない。

終わりに・「他人に興味を持つ」過程に至るまでに、どういう人と共存したいのかを思い描く

仕事でもプライベートでも良いのだが
私たちはどういう人と共存関係を持ちたいのか?

という話にもなる。

これだけ長々書いて結論ふわっとしてるみたいで恐縮なのだが

「どういう人と仕事したいのか?」
「どういう人と友達・恋人でいたいのか?」

「他人に興味を持つ」という過程に至るには
そういう理想像を思い描くことからでないだろうか。

興味を持った末に、なんらかの関係に至るということだ。

こういう人と仕事したら気持ちが上がる
こういう人といたら心地よい

逆にこういう人と仕事したくない、一緒にいたくない
共存関係なんてあり得ない

そういう理想像は誰しも持っているはずだ。


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