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月のラジオ放送局

地球の皆さん、こんばんは。

満月の夜、うっかり気付いてしまった人だけが傍受できちゃう、知る人ぞ知る月のラジオ放送局、今夜もこっそり開局しております。

さて、もはや恒例となりましたこの企画、月面お悩み相談局。リスナーのお便りをご紹介しましょう。

今夜は日本の方ですね。匿名希望となっています。早速読んでみましょう。

「みんなー!もっとボクを労ってよー!なんだかんだでボクが一番頑張ってるのにー!」

ははは、冒頭からアツいですねぇ。この後長々と愚痴が書いてあるので、ちょっと端折ってご紹介しましょう。

どうやらこの方、俳句を趣味としているみたいなんですが、自らが中心となって仲間を募り、グループでわいわい楽しんでいるようなんです。

ああ、いいですね。趣味で他人と繋がっていくというのは。私なんてこういう所にいますからね、仲間なんていないですから。放送の時だけですかね、あったかい気持ちになれるのは。孤独なもんですよ。ええ。

はい、それで続きなんですが。この方が言うには、順調にお仲間が増えていく反面、様々な個性がぶつかり合う事で生まれる軋轢に、やや辟易しているようですね。

しかし凄いですねぇ。。もう三年近くやっているみたいですよ。趣味とは言え、大人数をまとめるのは、色々と気苦労もあるんでしょう。私は最初、学校のクラスの担任みたいな感じで、生徒をまとめるのに苦労してる、みたいな感じかと思ってたんですが、お便りを読み進めていくと、どうもそれとは少し違う印象なんですね。

「ボクには本当の家族はいない。だからせめてみんなには、家族のような存在であって欲しいのに。どうしてボクだけ皆に甘えられないんだろう。」

あぁ…これは、お辛い部分もあるでしょうね。私なんか、もう家族がいたかどうかも忘れちゃってますよ。ほら、記憶喪失のリハビリで「ここ」に来てますから、私。

それでこの方の場合、この団体を取りまとめながら、家族のような精神的拠り所を作ろうとしているのかな、と思いますよね。

そうする事で、まず自分が救われたいんじゃないかな、と。自らの心が健全でなければ、あらゆるトラブルや小さな歪みに向き合っていく余裕がなくなってしまいますから。で、恐らく、全力でそうして来たんでしょう。でも、本人は何かが足らない。どこか満たされてはいないんです。

「家族であれば、あらゆる個性を受け入れられる。ボクはそれをモットーに頑張ってるのに。みんなボクの事、放って置き過ぎだよ!」

はは、なんだか構って欲しいみたいですね。責任感というか、使命感みたいなものが、この方をここまで突き動かして来たのかもしれません。自分に対してはストイックに生きながら、各方面に気を遣い続けるのは、しんどいですよね。本当は甘えたいんだとしたら、尚更の事です。

組織を束ねるのは容易ではありません。家族のように何でも言い合える場を『維持』する事の難しさ。それでいて、自分自身も皆と同じ高さで物事を共有したい。

この方は恐らく、誰も特別視していないんです。自分も含めて、みんなが平等な空間を作りたいんじゃないかな。あらゆる個性が等しく共存する空間を、この方は作りたがっている。俳句という趣味を一つの核として、家族の絆のようなものを、創出しようと頑張っている。

「ボクが目指している『家族』は、こんなカタチなんだろうか。最近そんな疑問が湧いてしまって、答えが出せないでいます。お月様なら、何て言うかしら。」

なるほど。ずっと言いかったけど、誰にも言わずに我慢してきたんでしょうね。そして、遂に堪えきれず、こっそりお月様にご相談。

まあ、私みたいな者が偉そうに言うのもアレなんですが、一応月のラジオ放送局専属パーソナリティとしてですね、まあ、言うなれば月に代わってですね(笑)、この件についての見解を示したいと思います。


『家族』って、持続させるの結構大変じゃないかなって、まずは思います。それをご自身が中心となって、時に端々まで注視しながら、時に一歩引いて全体を見たりして、絆の安全性みたいなものを保とうとしている。偉いですねぇ…。確かにこれは、もっと褒めてもらわないと、割に合わないでしょう(笑)。

でも普通に考えたら、それ一人でやるべき事じゃないんですよね。しんどすぎますよ、さすがに。かといって、自分の分身を作ってまで、それを誰かに管理させるのも、また家族という概念とは異なる趣きでしょうし。

だから、どうしたらいいか分からなくなる。ある種、ここへ届くのが必然なお悩み相談と言えますね、これは。

あらゆる個性が、その部屋で共存できるとして。その部屋を仮に『家族』と呼ぶとして。そこに出入りしている個人個人のほとんどは、それぞれ本当の『家族』を部屋の外に持っている…というのも、また事実なんだと思うんです。

だから、私思うんですけどね。この方は、『家族のようなもの』を作ろうとしているのかもしれないけど、目標とするテーマとして、それって少し重たすぎるんじゃないかな、と。

だから、試しにその部屋を『故郷』と呼んでみたらどうかなと。もしかしたら、それくらいが丁度いいのかも。

よく言うじゃないですか、ここが私の第二の故郷です…って。いわゆるいつでも帰ってこれる場所、帰って来ていい場所なんです。

例えば、家族間での物言いって、思いついたそばから、何でも好き勝手に言葉にしてしまうところがありますよね。血の繋がりを楯にして、何を言っても許されちゃうっていうのかな。時にそれが個々の心の温度差となって、許容できる人とできない人に分かれていって、険悪なムードが漂う…みたいな。これって、よくある事なんじゃないかと思います。

例えば何か火種があって、そこから発火した際には、皆その火に夢中になってしまう。早く消さなきゃって思いますからね。煙が少し出ているだけでも、こぞって火元に砂をかけにいきます。それで、ああすれば良かった、こうすれば防げたと言う言葉ばかりが、漏れ聞こえて来る。それを聞いて、ふと思うんです。その火種に着火しないよう、一番配慮してきたのは自分なのになぁ…って。

そして、自分自身の本音は、その口を突いて出る事なく、心の中でずっとリフレインしている。


違うよ、頑張ってたんだよ。
頑張ってたけど、防げなかったんだよ、と。


人知れず頑張れちゃう方なんですねぇ…。
でも、それじゃあやるせないですよ。


だから、これは家族ではありません、故郷みたいなもんですよ…と、捉え方を変えてみたら、どうなるんでしょうか。

血で繋がってるわけじゃないのに、同郷だって言うだけで、何だか連帯感が出てきますよね。家族間にはない秩序が、そこに生まれる。『言いたい放題』というわけにはいかなくなります。それはたぶん故郷というものが、家族よりは外側の『社会』の中にあるからです。つまり、文字通りの『社会性』がそこに求められるわけですね。そこに留まりたい人はみんな、進んでその基準に合わせようとしてくれる。頼まれてもいないのに『火の用心』をする人もきっと現れるでしょうね(笑)。

縦よりも、横の繋がりが一層強いです。誰か一人が全てを背負う必要もないし、全ての人が等しくいられる空間になるんじゃないかな、と。

つまり、私も今ここで喋りながら気づきましたけども、家族の絆と、故郷の絆って、それくらい違うものなんだろうなって思うんです。家族にも、故郷にも、帰るべき場所としての意義みたいなものが含まれていますけど、今果たして自分はどちらに属しているんだろうって考えてみると、、その捉え方次第で、居心地は変わってくるんじゃないかなと思います。

お便りをくれたこの方は、自身には身寄りがなく、お一人で暮らしている。だから、同じ趣味を持つ仲間たちが、その寂しさを埋める『家族』のように存在していて欲しいという気持ちは、痛いほど分かります。でも、それ故に、そこに付随してくる辛い思いにも苛まれてしまう。

けれども、その『家族』を『故郷』に置き換えてみるだけで…、つまり考え方を少し変えるだけで、この方の背負うものは軽くなる気がします。もちろん、『故郷』に出入りする仲間たちが、同じ意識を持って接する事が大事です。発起人である彼だけに重いものを背負わせるのではなく、分担してあげようと気遣う事が大切です。家族には戸籍の筆頭者がいますけど、故郷に『長』はいないですからね。 

そして、やっぱり『家族』にしちゃうと、甘える側と甘えられる側にハッキリ分かれちゃうと思うんです。その分かれ方も、必ずしも『希望通り』とは限らない。好きなだけ甘える人がいる一方で、本当は甘えたい人が、ひたすら甘えられる側にいたりするもんです。

この方は恐らく、元来甘えん坊なんです。でも立場上、甘える事をして来なかった。出来なかったんだと、私は思います。そして、周りの甘えをひたすら受け入れる側であり続けた。やがてその我慢が自分を苦しめるのだと知った後も。それが、自分の理想とする家族の在り方なのだと、完璧に理解していたから。

『家族』には、とことん甘えが許されるだけの『愛』があるんです。その愛に許された個性が、家族を構成しているんです。

もし、身寄りのないこの方が、そういう『家族』に憧れているのなら、甘えられてばかりの今の自分と、その理想像との間に乖離があるのは当然の事ですよね。

一方で周りの方々は、この部屋は家族みたいなものだから、好き勝手に自分らしくいさせてもらおうっていう思いがあると思いますよ。家族ならそれは許される甘えだと、私も思います。家族ならば、ですよ。

だから、私は『故郷』を推したいのです。社会性が許す範囲での甘えしか、できませんからね。

だからこの方には、適度に甘えあって、励まし合って、同じ価値観を共有できるような場所作りを目指して欲しいと思うんです。

それでも満たされない時は、またこのラジオを傍受して下さい。お月様に好きなだけ甘えて、何でも愚痴を零してみて下さい。

私は特定のリスナーのお便りを何度でも読み続けます。その為なら、私は『記憶喪失』であり続けます。


ま、こんなところでどうでしょう。
少しは答えになりましたでしょうか?

…ならんか(笑)。

でも、いいじゃないですか。私なんて記憶を失って随分経ちますよ。家族も故郷も、もう思い出せないんです。お辛い事もあったでしょうけど、そういう存在の為に一喜一憂する時間があって、羨ましいですよ。

それで、余談なんですけど。この方、月のラジオいつも聴いて頂いてるみたいで、なんかホントありがとうございますって感じなんですけども。実はこの長文のメールに紛れて、『月』をテーマにした俳句を、たくさん書いて送ってくれたんですよ。

「ボクは月が大好きなんです!」

なーんて書いてありますね。

いやぁ、月面代表として心から御礼申し上げます。ありがとうございます。

まあね、人知れず努力している人っているのは、太陽のように眩しくはないでしょう。お会いした事はないんですけど、恐らく、この方自身が『月』のような存在なのかもしれません。

はい、上手い事言えて番組が締まったので、そろそろお開きの時間です(笑)。

さて、今夜も最後に、お便りに対する『おまとめ』の一言でお別れです。

なんか、たくさん俳句送ってくれたんで、私のおまとめも五七五にしてみました。もしかしたら、才能アリかもしれません(笑)。いや、ひょっとしたら記憶喪失になる前の私は、この方に誘われて、同じ『故郷』で俳句を嗜んでいたのかも…!?

…なーんちって。んな訳ないか。

それでは、月のラジオ放送局、今晩はこの辺で。また今度!ごきげんよう!!

みんな、俳句楽しんで!!






『ふるさとの月は笑っているかしら』





【月のラジオ放送局】 完

構成、俳句 … 恵勇

special thanks … 俳並連各位

※後書きという名の近況報告(いや宣伝か)

坊ちゃん文学賞応募作品、制作着手。

『月』の俳句が出てくるとか、出ないこともないとか、いや、出るに違いないだろなどと専らの噂です。

ていうか、今回のラジオの話、坊ちゃんと同じサイズ感だな…。もしや、これをこのまま送れば良かったのでは?(笑)

俳句は賞レースの仕組みに対して急激に冷めてしまい、嘘みたいに全く詠んでいないので、結果待ちが少し残っていますが、ほとんど投句していません。いずれどこにも投句しなくなるでしょう。俳並連には、籍だけ置かせてもらってる感じでしょうかね。

何しろ、もう色々忘れちゃいましてね。
戦意喪失というか、記憶喪失なんです。

おかげで精神的に身軽なんだと思います。
だからもう、お悩みドンと来いって感じ。

さて、次に俳句を詠むのはいつの事やら。

記憶喪失者が思い出したように詠む俳句は、どんな感じなんでしょうね。


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