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メメント・モリ ー 「死」の変化 ー


今日は「死」について、最近感じていることをおはなしします。

「死」を語る、なんて言ったら、ちょっとおっかなびっくりに感じることもあるかもしれませんが、だいじょうぶです。ぼくの性質上、どうしても重たい話にならないはずです。ポップになるかはわかりませんが。

今日も向こう見ずに、書き始めたいと思います。

死に変化が訪れた


ぼくは身近な人が亡くなったり、もしくは著名な方が亡くなったりすると、不謹慎かもしれませんが、すぐにコンタクトをとろうとする妙な癖があります。先週のキンボにも書きましたが、直近では志村けんさんとかCWニコルさんです。どうしてコンタクトをとるのかと言いますと、最近の「死」は、これまでの「死」とはどこか違う感覚があるからです。

ではなにが違うか。

ぼくの感覚では、死んでないんです。
完全に、と言っていいほど、生きているとしか思えない形で存在しているように感じるんです。

もちろん、肉体は失っています。いわゆる、この世界を生きていく上での乗り物は形を無くしたんだろうと思うのですが、意識が、生命の脈動を感じ取れるほど、ばっちりと生きているんです。

ですから、死んでないんです。


この感覚を味わっていくと、ぼくの身体の中から、「メメント・モリ」という言葉が滲み出てきました。

「メメント・モリ」は、古くは「今を楽しめ」という趣旨だったそうで、キリスト教世界の訪れとともに、「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」、「死を忘るなかれ」という意味を持ち始めたそうです。
(Wikipedia 『メメント・モリ』から一部抜粋しました。)


もしかすると、ぼくが感じている「死」の変化は、ひとつの時代の終焉を意味しているのではないかなと感じています。


死後の世界の人々


死後の世界がどのようなところなのか、ざっくりとしたイメージしか知りませんが、時間と空間の概念のない世界なので、ものすごく自由度が高いそうです。

最近(やはり東日本大震災が皮切りかと思います)では、死後の世界で、東奔西走、あっちこっち忙しく駆けずり回っている人を多く見かけます。ここ数年の間に、友人知人が何人か亡くなりましたが、みな一様に、めちゃくちゃ充実している様子なんです。

亡くなった友人に問いかけてみると、

「こっちに来てからできなくなったことはたくさんあるけれど、できるようになったこともたくさんあるんだ!」

ということでした。

まず時間と空間の縛りが無くなったことで、一瞬にして、光よりも速いスピード感で、いろいろなところへ行くことができて、なおかつ、一度に何人もの人(おそらく限りはないそうです)の元に駆けつけて、その人たちの視界や思考の中に入り込んだり、インスピレーションという流れ星の尾を捕まえて、その人が掴みやすいところまで持って行ったりすることもできるようです。

その活動がとにかく有意義らしくて、いつ何時でも、彼らは生きているぼくたちに対して、あれやこれやとお世話してくれています。

なんでそんなことするの?と訊ねると、みんな口を揃えて、
「だって、じれったいんだもん!」と言います。

どうやら、ぼくたちが地球演劇において、よくよくしてしまう「知らないフリ」に、とーってもやきもきしているそうです。

たとえば、何度もおなじループに捕まる遊びをしている人を見かけると、「ああ!もう!!」とか「その遊び、おしまいにしちゃいなよ」と言って、ループから外れるように、とーってもうっすらとした誘導をしているそうです。

とはいえ、当の本人が無意識の状態ばかりだと、どうしても彼らのメッセージはスルーしてしまうため、何度も何度も失敗するそうです。それでも、彼らは決して諦めません。彼らもまだまだ、地球演劇の舞台裏で、裏方さんとして大活躍しているからです。


わたしたちのこと、もっと使って!



肉体を失った彼らから聴く、最も多い言葉はこれです。

「わたしたちのこと、もっと使って!」

亡くなったとされる彼らは、まだこの地球上に存在し続けています。そのことをたっぷりと味わうことになったのは、去年の秋に、おはなし会の全国行脚で宮城県石巻市を訪れたときでした。


☆ 念の為、ここで注を打たせていただきますが、生き死にに関わることはとても繊細なことです。もちろんそのことは理解しています。ですから、これからぼくが書くことは、あくまでも個人の感覚の話です。故人への思いを汚すようなつもりは一切ありません。ご承知おきくださいませ。


東北地方では、岩手県の盛岡と遠野、宮城県の石巻へ伺いましたが、どこの会場でも、東日本大震災で被災された方、もしくは友人知人、親族が被災した方とお会いしましたが、特に石巻は押し寄せた津波の影響で、多くの方が命を落とした場所だったため、全国行脚の中で伺う機会ができたことは、今となって感じてみても、ほんとうにありがたいことでした。

石巻では、開催地のオーナーさんの計らいで、小舟に乗って海へ出ることができました。潮風と波しぶきを感じながら、耳を澄ませていると、海の底から響き渡るように、ものすごい数の声が聴こえてきました。

その声は、悲しみに暮れたような声ではなく、むしろ、黄色がかった声と言いますか、とても賑やかな響きでした。

海の底をイメージしたとき、すぐに出てきたのは「竜宮」だったので、ぼくはすぐに「ああ、みなさんそこに行かれたのだな」と感じました。

その「竜宮」からの声が、
「わたしたちのこと、もっと使って!」だったのです。

そのことは、たしか、石巻のおはなし会の中でもちらりとおはなししたかもしれません。それくらい、ぼくの中では「竜宮」からの声が印象的でした。

大津波という自然災害で亡くなられた方が、あんなにも楽しそうに過ごしている声を感じ取ることができたのは、ぼく自身の中にあった「死」の概念をより新しく、改めることに等しかったと思います。

ちなみに、石巻のある牡鹿半島には金華山いう聖域があって、もしかするとそのあたりにピンポイントな「竜宮」エリアがある気がしてなりません。石巻はほんとうに素晴らしいところでしたので、また再訪したいと考えています。

さて話は戻りますが、ぼくたちは亡くなられた方のことを、しっかりと使えているのでしょうか??
使うというと、なんだか乱暴な言い方かもしれませんが、ほんとうに、まるで道具として使うように使うことが、彼らの強い希望だと感じています。


では、どう使うか?


これはとても簡単なことです。たとえば。

「明日、大事な試合があるのに雨なのかあ。ねえねえ、おじいちゃん。明日なんとか晴れにしてちょーだい!」

こんな些細なことでいいらしいんです。
てるてる坊主にお願いするのもいいですが、おじいちゃんは自分のことを指差して「わしを使え!わしを指名してくれ!」と言ってるでしょうね(笑)

もちろん、もう少し大きいことでもいいかもしれません。

「車が急に故障しちゃった。しかも修理代が中古車一台買えるくらい高い!天国のおとうさん、どうか私に新しい車か、もしくは修理代を工面してください」

これは、もう少し大きい例になりますでしょうか?(笑)

つまり、なーーーーんだっていいみたいです。

しかも、死後の世界に生きる人々は、なんと、あの世界創造大工さんにものすごい早さで直談判ができるようなのです。

(世界創造大工さんについてわからない方は、こちらの記事をどうぞ)


特に、2011年以降に亡くなられた方の多くは、ほとんどが竜宮的な場所にスタンバイしているような気がします。そして、昨今世界を騒がしている、コロニャンで亡くなられた方についてもです。

ぼくたちは、神社やお寺に行って、神さまや仏さまに願掛けができるくらいですから、できないことはないと思います。

もちろん、亡くなった方を冒涜するわけでは決してありません。
ヤル気満々で腕まくりしている方々が、別の世界で信じられないくらいにたくさん存在していることを実感したから、みなさんにお伝えせねばと思った次第です。

たとえ生前に不仲だった親御さんやご親族、友人の方だとしても、全然だいじょうぶです。死後の世界は、ありとあらゆるネガティブな要素が一切合切取り払われておりますので、故人との間にいい思い出がなかったとしても、もはや別人だと思った方がいいくらいです。


「死」とは別世界の「生」を指す



ぼくたちが他者の死を経験することは、歳を重ねるにつれて増えるものです。その都度、さまざまな感情が溢れ出てくることも間違いないでしょう。感情を抑えたり我慢したりするのではなく、涙も怒りも、ありとあらゆる感情を気の済むまで出すことをオススメします。感情を抑えたくて、我慢したくてそうする場合は、それでもいいと思います。

今まで会話を交わせた人、互いに触れ合うことができた人が、突然目の前から姿を消し、今までできたことが何一つできなくなる、という喪失感は、この地球ならではの大切な経験でしょう。

とはいえ、多くの人の中にある「死」の概念は、ずいぶんと古い世界の情報を更新しないまま、今現在にまで引き継がれているように感じます。

「死」は新たな「生」のはじまり。
それは「死」を通して、別世界で「生」きている友人知人たちから教わったことです。

ぼくたちは、どんな形になっても生き続けると思います。
とはいえこの地球という物質世界での命は限りあるものとして知られています。身体を失えば、触れられるものも触れられなくなることは明らかですが、今この時代に、心身を躍動させて生きているぼくたちが、どうしてそのような形で生きているのか。何のために生きているのか。

特に今年は、そのことを感じ取りやすい一年なのかもしれませんね。


当たり前のように来る明日は、
もし来たら、とても幸運なことですし、奇跡です。
幸運と奇跡に満ちた人生を、毎日のように味わいながら、
思う存分、生きていきましょう。

ぼくは明日も生きています。
金曜日の星の坊主さま、キンボを書きまくる予定です。

幸運と奇跡を感じながら、また明日もお楽しみくださいませ。



(画像は、彫刻家の田代裕基さんの作品です)

こじょうゆうや

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