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火のもとに、風が訪れた


時代の変遷


時代を意識することって、普段はあまりないのかもしれません。星々の声を本格的に聴き始めた2011年の東日本大震災以降に、ぼくたちが生きる時代は、四大元素の「水」「火」「風」「土」から成立していることに気づき、またその時代は、そのまま地球のバイオリズムと連動している、ということに、ここ数年で改めて体感で気づきました。

ぼくはそれぞれ、水の時代、火の時代、風の時代、土の時代などと呼んでいます。地球の声をたよりにすると、この中で一番ゆったりとした時間が流れるのは土の時代で、数十年単位で続く、どっしりとした安定感のある時代のようです。

その次は水の時代で、およそ5〜10年ほど経つと、火の時代にバトンタッチします。火の時代と風の時代はどれだけ長くても3年〜5年ずつくらいかなあという感じなのですが、東日本大震災以降はこれまでとは全くスピード感で移り変わったように感じています。


東日本大震災は、それまでの土の時代の終焉と、新しい水の時代の到来を告げるものだったのかもしれませんが、ぼくが感じるに、本格的に新しい水の時代が訪れたのは2012年冬至頃からで、それはだいたい丸6年ほど続きました。

そこからのリズムはこれまで感じて来たものとはまるで違うものでした。

2012年末〜2018年「水」

2019年「火」

2020年「風」

2021年「?」

どこかの記事に書いたかもしれませんが、探しきれなかったので、もう一度お伝えさせていただこうかと思います。


2019年は「火」の年



昨年、2019年は今振り返ってみても、火の出来事が多い一年でしたね。日本では首里城が全焼したり、パリではノートルダム大聖堂が火災に遭い、世界各地で深刻な森林火災が起きました。

「火」は、燃焼のために空気を呼び込む性質があります。ろうそくの火に手を近づけてみたり、焚き火の近くにいると、うっすらと気流が起こっていることに気がつくかと思います。

「火」は「風」を呼び、「火」のもとに、「風」は訪れるのです。

ぼくは2019年は「火」の年になると思い、年始早々から2月いっぱいまで、「火」にまつわるおはなしを各地でさせていただきました。

神奈川から埼玉へ、その後徳島に飛び、そこから香川、愛媛、高知、広島、岡山、兵庫、京都、三重と渡り、最後は岐阜県美濃市のエムエムブックスさんにて、服部みれいさんの声のメルマガで「火」のおはなしを収録していただきました。

配信は『服部みれいのすきにいわせてッvol.62』です。バックナンバーは購入できるようです。もしご興味あればぜひ聴いてみてください。

ご購入はこちらから。

今からそれとほとんど同じ話をいたします(笑)



燃え上がる火の意味



「2019年は火の年だ!」と感じ始めたのは、その前の年、2018年の秋冬頃に、何かと火にまつわる話を聞くようになったことがきっかけです。友人から「最近、火が気になってるんです」と言われたり、パートナーの弓子さんが、庭に自生しているヨモギを一心不乱に刈り取って、乾かして、お香を作って火を灯したり、友人のろうそく作家さんから素敵なろうそくが届いたり、じわりじわりと火の気配が近づいてくるのを感じてました。

そのまま年が明けて、パートナーの実家のお寿司屋さん(2019年末でお店じまいしました)でお手伝いをしていたときに、カウンターに座っていたお客さんたちが、テレビの内容(ワイドショー)について何やら盛り上がっていたので、どうしたんだろう?と思って、仕事の合間に様子を感じ取っていたところ、久しぶりにはっきりとしたヴィジョンが見えたのです。


ぼくの両の目には、テレビの内容について、ああでもないこうでもないと言い合うお客さんの姿が映っているのですが、ぼくの内的な目は、お客さん全員が生気を失ったように呆然とした表情で、胸元に灯る火を、少しずつ少しずつ、テレビの方に向かって差し出しているように見えたのです。

内的な目で見ると、テレビのある位置にテレビはなく、猛り狂う大きな炎がごうごうと音を立てていました。お客さんたちが差し出す火で、炎はよりいっそう燃え上がっているように見えましたが、お客さんだけでなく、そのテレビを見ている視聴者のすべてから差し出されて、炎が大きくなっているように感じたのです。

この光景を見たぼくは、背筋が凍りました。火を差し出している人々の胸に灯る火が、うっすらと弱まっていっているように感じたことと、集められた火の炎上の仕方が、あまりにも不自然だったからです。

仕事が終わった後、ぼくはろうそくを灯し、揺らめく火に問いかけてみました。


火との対話


「あの、、、火ってそもそもどういう存在なんですか?」

『地球に存在する火は、すべて太陽からやって来ています。そして、あなたたちの生命という動力もまた、太陽の火からできています』

「なるほど。ということは、ぼくたちの生命は火なんですね」

『そうです』

「今日テレビを見ていたお客さんが、自分の胸元の火を、大きな火に向かって差し出すようなことをしていたんですけど、あれはどういうことですか?」

『人心掌握のためには、人の生命である火を集める必要があります。火が集まれば、大火が生まれ、大きなエネルギーが発生します。そのエネルギーが、社会や組織の動力となるため、ヒエラルキーの頂点に位置する人たちは、古来から伝わる方法に沿って、いかにより大きなエネルギーを作り出すかで躍起になっています。つまり、テレビで起こった大火も、上手に人の火を集めた結果でしょう』

「火を差し出した人の火が弱まっているように感じたのは、火を差し出しすぎたってことですか?」

『それもあります。そもそも火のエネルギーは、水のエネルギーと同じように循環してます。生命の火は、巡らなければならないのです。ただ、火を差し出すことは巡りを生むに至りません。火を巡らせるためには、火の主が自分自身に火を使うことです。自分以外の誰かに火を差し出したことによって、巡りを失った火が弱まったように見えたのでしょう』

「なるほど。でも、火ってどうやって使えばいいんですか?」

『あなたの生命を、あなた自身に活かすことです。あとはご自身で考えることを忘れないでください』



わたしの火



火の声を聴いたとき、ぼくはアンパンマンを思い出しました。お腹を空かせた子を見つけると、自分の顔をパカっと割って差し出して、子どもたちはお腹が満たされ喜びますが、顔が欠けたアンパンマンは本領発揮できず、わりとすぐにバイキンマンにやられてしまいます。

でも最終的には、ジャムおじさんとバタ子さん(チーズもかな)のおかげで、新しい顔に変わったアンパンマンは、アンパンチでバイキンマンを瞬殺し、めでたしめでたしになりますが、このおはなしを思い出したことで、改めて火の扱い方を考えさせられることになりました。

「アンパンマン、顔を割るんじゃなくて、小袋にいくつかアンパンとか詰めておけば弱らなくて済むじゃん!!」

ぼくの平々凡々な頭だとそんなアイディアしか浮かばないのですが、自分の身を削らすに他者を助けることってきっとできるはずだなあと感じました。


先ほどのニュースの話に戻りますが、くれぐれも要注意なポイントがひとつあります。

たとえ人心掌握(視聴率アップのためなど)が目的として作られた番組だったとしても、番組自体から火を奪われているわけではなく、自分の意思で、生命の火を差し出してしまっている、というところが特徴なのです。これは、社会や組織の中における火集めにおいても、同じことが言えると思います。

どうして、人は他者や自分以外の何かに火を差し出してしまうのでしょうか。おそらく、人間は火の扱い方を少しずつ忘れ始めているからではないか、とぼくは感じています。

田畑しごとをしていると、枯れ葉や枯れ木を集めて、火をつけることはよくありますが、都会の生活をしていた8年前の記憶を思い出すと、火の事故が起こらないように、原因となる火ををなくし始めているように感じました。
オール電化や、電子タバコの普及も大いに関係あるでしょう。

あ、毎度毎度のことですが、ぼくはオール電化や電子タバコを否定しているわけではありませんからね。そのような良し悪しのジャッジメントを抜きにして、読んでいただけると幸いです。そもそもぼくは、電気の恩恵を相当受けている人間の一人なので、電気が悪だと思ったことは一度もありません。
ジャッジメント、どうぞご注意くださいませ。

人の世界は、人が安心安全に、便利に快適に生きていくために、インフラが整備されているはずです。人類はあらゆる分野で確かに進化を遂げているとは思いますが、意図せず(と思ってます)、火の扱い方を忘れてしまうような方向性に、社会づくりが行われているのが、現代社会なのでしょう。

とはいえ、火の扱い方を思い出すことは誰でも簡単にできると思います。人間の遺伝子に根深い記憶がばっちりとありますからね。では何をすればいいか。

火に訊ねたところ、「ろうそくに火を灯すだけでいい」そうです。
1日1回でも、1週間に1回でも、ゆらめく小さな火を見つめ、その有様をのんびりと楽しむだけで、その人の生命の火がしっかりと巡るんですって。
お線香もいいと思います。香りも楽しめますしね。

そうやって、わたしの火を意識しつつ、その火をどこに使い、どこに活かすかを感じ考えながら生活をすると、きっと巡りの良い毎日が過ごせるのではないかと感じています。

喫煙者の方は、タバコもいいそうです。小さな火のひとときを、煙と香りとともにどうぞお楽しみくださいね。
もし嫌煙家の方がいらっしゃったら、どうかご容赦くださいませ。ぼくは生まれてこの方一度もタバコを吸ったことがないため、筋金入りの非喫煙者ではありますが、愛煙でも嫌煙でもありません。チョコレートでできたタバコは小さい頃にとっても好きでした。



地球の火と、これから




2019年はしばらくの間、火との対話を、毎日のように行っていました。ぼく自身の生命の火をより強く意識するためでもありましたが、おかげでたくさんの火の声を聴き取ることができたと感じています。

火曰く、火のエネルギーは全世界でつながっているそうです。ですので、たった一人の火が滞るだけで、その滞った火のエネルギーは地球に溜まっていき、いずれは地球のバイオリズムの中で、循環を起こすべく放出作業が始まります。

世界各地で起こる、火山の噴火、山や森林の火災などでエネルギーを放出させていくそうですが、地球上で最も大きな火のエネルギーが放出できるのは「戦火」のようです。人が関与することも、大きな意味を持つのかもしれません。

それを知ったとき、「戦火」を無くすことは、案外容易なことから始まるのかもしれないと感じました。
ぼくたちが、ぼくたち自身の火を使い、活かし、火のエネルギーを巡らせていさえすれば、いつしかそれが「戦火」をなくすことにつながると思ったのです。


また、昨今では、噴火するのかしないのかで注目を浴びている日本で一番大きな山がありますが、地球のバイオリズムの関係で、一応は噴火すると思います。ただ、その規模はぼくたちが、生命という火を生かしていれば、半減、もしくはもっと規模を少なくできるのかもしれません。

こんなこと言ってもまったく科学的ではありませんし、でたらめな主張だと思われることは百も承知でございます。あくまでも、こじょうゆうやのファンタジーとしてお受け取りいただければ幸いです。それに、自分の主張を押し通すつもりは一切ありませんから、のんびりゆるやかにほんわかと読んでいただければ本望です。

ぼくは自分の感じたことを、誰よりも信頼して、今後も、インプット&アウトプットを忠実に、精確に実践していきます。もしなんとなく腑に落ちて、キンボッチャマのお遊びにお付き合いいただける方は、ぜひ、ご自身の生活の中で実践してみてくださいね。ただただ、自分自身に命のエネルギーを使い巡らせる、ということです。
ちなみに、他者を蔑ろにすることでは決してありませんからね(笑)
そのあたりは、しっかりと按配を感じて、実践していただければいいかと思います。

ちなみに、
「わたしは他者に尽くす性質があって、人に喜ばれることをするのが好きな性格なのだけど、そんなわたしはどうやってわたしの火を使えばいいの?」
というお声も以前ありました、

そんな方にもお伝えできることは、火からばっちりと聴いてあります。

ご自身の生命の火を、ご自身に使う、活かすという点は、押し並べて変わりありません。ご自身に火を使い活かすと、そこから発生する、煙や熱や光、灰のようなものが残って、結果としてそれが、勝手に誰かに届いていき、誰かの役に立つことになるそうです。

ですから、とにもかくにも、ご自身に、わたしの火!でございます。

また、少し抽象的な話ではありますが、たとえば、ご自身の火の状態が、急に燃え上がるような火の場合は、長続きしないらしいので、ぐわーっと燃え上がる時は、少し注意深くなった方がいいそうです。体感の目安としては、静かにゆらめきながら、とろとろとついている火が好ましいそうです。



火のもとに、風が訪れた



冒頭でもお伝えしましたが、2020年は「風」の年だと感じています。

よくある風のふき方ではなく、地の底から、湯気のようにゆらめいて湧き上がってくるとっても大きな風が起こるようです。もうすでに起きているかもしれませんが、その風は、大きすぎる火や、迷子の火をすべて消し去ってしまうそうです。

人心掌握のために集められた火、そして自分自身が誰かや何かに差し出した火は、軒並み消えることになる、のかもしれませんね。やり直しを迫られることも考えられます。では、この風を追い風として燃え続ける火は一体どういう火なのか。

ひとえに、わたしの火、だけが燃え続けるそうです。

本来ならば、いろいろな花や緑が芽吹くこの季節は、人の意識も外側に向きやすく、様々なものが内側から溢れ出てくる頃合いだとは思いますが、せっかくなら、今このタイミングで、みなさん自身の火を見つめ直してみるのがいいかもしれません。

昼夜問わず、ぜひぜひ、ろうそくに火を灯してみてください。
きっと、火の扱いを思い出し、ご自身に一番フィットした形で、火を活かすことができるようになると思います。





こじょうゆうや

あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。