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2021 / 2 / 5 の星の声


てっぺんのものがたり



ある時、山のいただきに住むという青年が、とある山奥の村にやってきました。それが彼の名前なのかは誰もわかりませんが、彼は自分自身を「てっぺん」と呼びました。てっぺんは棒切れみたく細くて小柄なのに、とんでもない怪力の持ち主でした。彼はナラの大木を担いで、とある村までやってきたのです。

大木は村の男たちが十人集まってもびくともしないないほどの重さでした。村の人々は目を丸くしました。中には、てっぺんを鬼だと呼ぶものもいました。しかし、首を横に振ったてっぺんは陽気に笑って、こう言いました。


「てっぺん、船を持ってきた。海にも、空にも行ける船。ほしけりゃあげる。てっぺん、船いっぱい持ってるんよ」


村人たちは首を傾げました。近場では見かけない素晴らしい木であることに間違いはありません。ただ、その大木は樹皮でおおわれているだけでなく、太い根っこに土までついていて、どう見てもついさっきまでそこらで生えていたような、ただの木にしか思えなかったのです。村人の一人が言いました。


「たしかに立派な木かもしれねぇ。でも、これのどこが船だ。海に浮かんだとしても、空になんて行けるわけがねぇ!」


そりゃあもっともだと、村人たちは声を荒げました。ナラの大木を一度見てから、今度はてっぺんが首を傾げました。


「てっぺん、空に行くから見てて」


てっぺんが地べたに置いた大木の上に飛び乗ると、突然不思議なことが起こりました。ちっとも動く気配のない大木に立つてっぺんの様子がすっかり変わってしまったのです。

風なんてひとつも吹いていないのに、てっぺんの髪は強い風を受けたように大きくなびいて、少しずつ湿りはじめました。すると次の瞬間、てっぺんの髪だけでなく、体中があっという間にずぶ濡れになりました。てっぺんは声を出して笑いました。


「あっはは。てっぺん、雲の中に入っちゃった」


てっぺんの様子が変わっていくのを見ていた村の人々は、何が起きたのかよくわかりませんでした。その日は雲ひとつない晴れ空で、雨の気配などまったくありませんし、村の人々は誰一人として、風にも雨にも当たっていなかったからです。

いくらてっぺんの様子が変わったからといって、村の人々がてっぺんの言うことを信じたわけではありません。またしても村人の誰かが、


「んなもん、まじないかなんかに決まってる。やっぱり鬼だ!」


と叫びました。そんなふうにしてざわつく村の人々は一向にてっぺんに近寄ろうとしません。てっぺんは目線を上げて、何か考えごとをはじめました。するとややあって、村の人々の中から幼い男の子が一人大木に近づいて、てっぺんに向かって言いました。


「ぼく、空は毎日見てっけど、海は見たことねぇんだ! うまい魚がたあくさんいるんだろ?」


てっぺんは男の子に向かって答えました。


「じゃ、連れてってあげる。てっぺん、魚食べたことないからわかんない。でも、いっぱいいるよ」


たいていの場合、迷いのない子どもの勢いは、大人が何か声をかけるよりも段ちがいに早いものです。この時、男の子に注意をしようとした村人は何人かいましたが、彼らが少し声を発した時にはもう、てっぺんは男の子の腕をつかんで、大木の上に引き上げていました。


「てっぺんに、つかまって」


村人たちが固唾を呑んで見守る中、てっぺんと男の子は腰をかがめて大木に踏ん張るようにして立ちました。てっぺんと男の子の髪が風をふくんでゆらめくと、男の子は大声を上げました。


「すっげーーー!!」


しばらくすると、村人たちはそろいもそろって鼻を振って何かをかぎはじめました。あたり一面に漂いだしたのは、なんと潮の香りでした。大木の上に立つてっぺんと男の子の受ける風が、少しずつ村人たちの方にも流れてきたのかもしれません。

その瞬間、潮風によって浮かび上がったのは、多くの村人が身の内に秘めたある思いでした。


山奥の村に暮らす人々は、代々豊かな自然の恵みの中で命を育んできました。生活に関わるすべては、足元のあちこちにほとんど落ちていたので、その場を離れなくても心穏やかに生きていくことができたのです。

長年にわたり、彼らは遠く離れた海辺の村に暮らす人々や、平地に暮らす人々とよく交流し合いました。しかし、たったひとつのきっかけから、平地に暮らす人々は、山の方に顔を出すことがほとんどなくなりました。それより遠い、海辺の村の人々はなおさらです。それまでは、お互いが持ち帰れる分だけを自由に交換し合っていた彼らの間に、ある時から、平地を中心にあるものが用いられるようになりました。それは、お金でした。

人々がお金を扱いはじめると、色とりどりの山のきのこがいっぱいに入った大ざる一枚は、だいたい海の魚三匹分、平地の米は、多い時でもお茶碗五杯分しかもらえないほどのお金に変えられてしまいました。これまでの交流では、考えられないほどに少ない量でした。

各地に暮らす村人たちのほとんどは、どういう理由で自然の恵みに価値がつけられたのか、誰の見積もりなのかがさっぱりわからないまま、お金を介して、物を交換するようになりました。それからというものの、これまでのようにふんだんに分かち合うことなどできなくなってしまったのです。

こうして山奥に暮らす人々は、海の魚を食べる機会がめっきり減りました。もちろん、山にあるものだけで暮らしていくことはできましたが、心にぽっかりと穴が開いてしまった感は拭い切れませんでした。もしかすると平地や海辺に暮らす人々も同じことを感じていたかもしれません。

どの土地に暮らす人々も、何かが足りないような気がしてならず、その土地にないものを追い求めるために、お金を多く手に入れようと試行錯誤することに至ったのです。

山奥に暮らす村人たちは、てっぺんが現れるまで、お金のことばかりを考えていました。お金がなくてもつつがなく暮らせることはわかっていました。しかし、どういうわけか気分がすっきりしなかったのです。時折山を訪れる僧侶からは、


「それは煩悩という、悪魔のささやきです」


と言われ、よりいっそうに村人たちは塞ぎ込んでしまっていたところでした。



てっぺんは大木から落っこちないように体勢を整えて、男の子の手を引くと、男の子にこう伝えました。


「海に手をつっこんでごらん」


男の子は言われるがままに、大木から身を乗り出して地面に向かって手を伸ばしました。あまりにも自然なてっぺんと男の子のやりとりに、村人たちがぼうぜんと立ち尽くしていると、男の子は急に黄色い声を上げました。

男の子が、山では見たことがないくらいに大きな魚をつかんで引き上げたのです。村人たちはわっと大木の周りに集まりました。すると、てっぺんは、男の子と彼がつかんだ魚を離さないように大木から飛び降りると、今度は村人全員に向かって、こう言いました。


「この船、ほしけりゃあげるよ」


村人たちは歓声を上げて、大木の上に這い上がろうとしました。中には、目を白黒させたまま動けずにいる村人もいました。ざっと四十人ほどの村人が、大木の上に座ったり立ったりする光景を見たてっぺんはとても満足そうでした。


「てっぺん、乗り方を教える。そしたら、海でも空でもどこにでも行ける」


てっぺんが伝える言葉を、村人たちはひとつひとつ覚えていきました。もうその時には、村人たちの中で、てっぺんが担いできた大木はただの木ではなく、歴とした船だったのかもしれません。これまでにもやもやと抱えていた考えごとは、きれいさっぱりなくなってしまったようです。てっぺんは船の乗り方だけでなく、村人たちにひとつ注意をしました。


「てっぺんの持ってきた船、どんどん小さくなる。ずっと、乗れない。いつかなくなる。だけどもそしたら、もう船はいらなくなる」


村人たちは、船がどんどん小さくなって消えてなくなるまで、そのことを信じていませんでしたが、すべててっぺんの言った通りでした。そして、どうして船がいらなくなるのかもはっきりとわかりました。

実際に、村人たちはもう船がなくても、なんでも手に入って、どこにでも行けるようになったからです。それが、彼らにとって喜びのひとつであったのは間違いありません。ただそれよりももっと大きな喜びは、以前のように、海辺の人々や平地の人々と、それぞれの土地の恵みをふんだんに分かち合って、生きていくことができるようになったことでした。

その頃、てっぺんと一緒に船に乗った男の子は、すっかり大人になっていました。ただ、後にも先にも、彼や村人たちがてっぺんに会うことができたのはその日かぎりでした。

この世界のどこかの山のいただきに、もし神様や仏様を祀るような場所があったなら、そのあたりにはきっと、てっぺんが大木を担いでまわった時の、夢のような言い伝えが残っているかもしれません。







今週は、そんなキンボです。






こじょうゆうや

あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。