見出し画像

<ネタバレ注意>小説単行本「神の悪手」あれやこれや②

エピソード「弱い者ー2011」について

※あらすじ的なものを含みますのでご注意ください。

『この少年と出会い、将棋を指すために、俺は生き延びたのではないか』自信を無くし諦観の泥沼にはまりつつあった北上八段は、復興支援イベントの記念対局で暗い目をした少年と運命的な出会いをします。

対局を始めてすぐに相手の少年が定石を知った指し手であると気づき、所々繰り出される手に才能の片鱗を感じていきます。飛車角二枚落ちながら、その才能相手に指導対局ではなく、真剣勝負へと気持ちが切り替わっていきます。対局も一時間に差し掛かるところ、北上八段は自身の敗北を確信する-七手詰みだ-『全身が温かくなる満足感が得られる良い将棋』だと感じていたその時、ー周囲がざわつきますー相手の少年、塩原涼が指したのは周りも気づくような悪手だったのです…なぜだ…北上八段が救いの一手を指すことでまた戦いは互角に。さらなる妙手を見て北上八段は少年の才能に確信を得ます。二度目の詰み、ここで北上八段はこの出会いを運命だと感じたのです。しかし、少年はまたありえないミスをしてしまいます。理解できなないまま北上八段が二度目の救済のため悪手を指しますが、これにも反応せず、少年は投了してしまいます。この不思議な状況に、北上八段はつい『奨励会に入らないか』とスカウトの声をかけてしまいます。『それなら、すぐにここからでられますか』眼に光を宿し初めて聞くその声は少女の声でした―――。

この時、北上八段は「なんだ女の子だったのか」と奨励会に誘ったことを後悔します。少女はその反応に眼の光を失い去ってしまうという非常に残念なシーンです。伸ばした手が振り払われたかのような、いくら手を伸ばしても届かないという表紙の絵を感じる瞬間です。実力の問題もあるのでしょうが、棋士は男性ばかりで女性は女流棋士という形でしか活躍できていない現実が見えます。色々な制約や問題もあるのでしょうが、女流でない女性棋士も活躍してほしいと女性活躍を願うワンシーンでもあります。

表題の年号と北上八段の過去の話を読むと気づく内容だが、東北の東西が大きな津波被害を受けた1983年日本海中部沖地震と2011年東日本大震災とも二人の世代がリンクしていて、心理的な描写がより一層リアルに描かれているると思います。それが対局の様子と相まって真に迫ってきます。泥仕合ともいえるような流れになろうとも、将棋を、対局を続けたい…少女がそう考える理由とは自身の身と心を守るためだったのです。それに気づけたのは、北上八段が過去の津波の被災者でだった偶然なのか。

物語は、北上八段が迎えの車のドライバーに詫びようとするところで終わってしまいますが、それは我々読者に優しい結末を想像させてくれるためだと思っています。きっと、この後北上八段は少女を追いかけ、内弟子にして棋士としてデビューするそんな優しい未来を私は想像し、北上八段と塩原涼のふたりの弱者が選択した一見悪手と見える手は、将棋の神様が示した運命の出会いは、それらの悪手を神の一手に変えたのだと感じました。

家族を失った悲しみだけでなく被災地の性被害など、被災者とりわけ子どもの心に与える影響は大きいものです。心の傷を負った人たちの傷は、完全に癒えることはないかもしれませんが、この物語のようにいつか誰かと、なにかと出会い救われるようにと祈りたいと思います。

「神の悪手」あれやこれやは②で中断したいと思います。私のエネルギーの問題もありますが、まだ未読の方が間違って読んでしまっても、残り4つのエピソードは直に楽しんでもらえるかもとも思いなおしたからです。この小説は将棋がテーマとなっていることもあり、私のように関係のない事象とつなげようとしながら楽しむ視点は著者の意図していることではなく、少数派ではないかと今は感じています。そうでない方々が、この感想を読んで、違う視点で作品を楽しんでもらえることを願って。2021.8.6

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?