アトピーと薬を使っていた頃の背景。薬からの卒業④
立山での仕事が終わり、冬はスキー場白馬での仕事。
この時、薬はもう持参していなくて 市販の無添加のシャンプーや 保湿剤などを いろんなものを使っては、ステロイドの塗り薬の変わりになりそうなものを、探すことを、繰り返していました。
白馬の仕事は冬の12月~4月。このとき、22才。(誕生日が12月なので、21才で薬の副作用を知って 無謀な脱ステロイドを22才からはじめる)
ステロイドの変わりになるような、無添加の市販のクリームは当時は 無く、白馬での仕事中に、肌の状態がピークにひどく悪化しました。
働くのも辛かったですが、症状があると、スノーボードをする体力も それまでと比べると 無くなっていきました。肌が痛くて痒い、ぼろぼろと剥がれていく皮膚。
ほんとうに、辛かったです。
周りの人からは、去年と比べて、体力がなくて、スノーボードが滑れないことに対して へなちょことか言われて(男子は悪気無く、そういうこと言う人いますね)すごく、悔しかったです。
肌さえ、丈夫であれば なんでもできるのに!!!
ほんとうに、悔しかった。
肌の状態が辛い中 市販のクリームでしのぎながら、肌がぼろぼろになりながらも、契約期間だけは がんばって働きました。
そして.契約満了の4月、その後は もう、働けない、、、と 泣く泣く実家のある広島に帰りました。
広島に帰る途中の長距離バスのなかでも、あちこち体が痒くて、リンパ液(汁)が太ももや お尻から出てきてて、地獄でした。
22才から、本格的な無謀の脱ステロイドがスタートします。
長期間使ったステロイドをやめるには、ほんとうに体の仕組みのこと、薬が体に起こしている作用と副作用のことなど、しっかりと勉強してから 取り組むのが とても大事でふです!!
私は、なにも知らなかったので、少しずつ 1から勉強をしていきました。
食事のこと、化粧品の添加物のこと、市販に売られているお菓子やインスタントの添加物のこと、ありとあらゆることを、ゆっくりと時間をかけて、勉強していきます。
その間は、薬の副作用で体がぼろぼろになってしまったので、お医者というお医者さん、病院、薬に対して 怒りと悲しみしかなくなっていました。
もう、二度と病院、皮膚科にはいかないし、医者にみてもらうのも嫌なので自分で、治す。
そう かたく誓っていました。
しかし、自己流で脱ステロイドは簡単にできるものではありませんでした。
何度も体の限界と、精神的な限界と
心の限界をトオリコシマシタ。
間違った脱ステロイドの自己流をしたおかげで、三回も、カボジなどの感染症にかかりました。
さすがにそのときは、母が死にそうな私を、無理やり病院に連れていきました。それでも、いちを漢方を主に処方している 心優しい おじーさんがされている皮膚科で、以前 依存していた皮膚科の心無い おじさん医師とは、ちがっていたのが、心の救いでした。
感染症になった私は、おじーちゃん漢方医から、今だけだから、数回だけ、抗生物質とステロイドを使って 感染症を治そうと言われました。
私は薬は、とにかく すべての薬に対して 嫌悪感しかなく、使うのは嫌だと 言いましたが、数日だけ、使わないと死ぬよと言われて、仕方なく受け入れました。
処方された抗生物質は、感染症の症状には 効きました。あんなにも、燃え上がるように真っ赤になって、腫れて 切れまくっていた皮膚。その赤みが 引きました。
薬を、使うくらいなら死んだほうがいいと、叫んでいた私。
しかし、ほんとうに死んだら、私は いいけど、お母さんが悲しむ。
そう直感していました。
私が死んでお母さんに悲しみを負わせることは できない!
その心の気持ちだけは、強く強くありました。
どんなに脱ステロイドでツラくても死ねない。
無謀すぎた脱ステロイドで、私は精神的心理的霊的な世界を奥深く 旅することになります。
つづく
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