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standのこれまで - 02|国産生地アパレルブランドとしてのStandの軌跡と、新しい「生地問屋」のかたち

かつてその品質を高く評価され、発展しながらも、大量生産大量消費のコスト重視の時流に押され、窮地に立たされた日本の生地産地。

「そんな中でも、日本の生地産地の方は本当に色々な試行錯誤を繰り返して、新しい生地を持ち込んできてくれるんですよ。そして、実際にそれらの生地は素晴らしいものが多くて」

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マンガン絣

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これはマンガン絣という技法でつくられた生地。本来「絣(かすり)」というのは、前もって染めわけた糸を使って織ることで模様を表現していきますが、マンガン絣は織った後から生地を染め抜く技法です。

かつて、手間のかかる絣の生地を工業生産にするために開発された技術ですが、現在このマンガン絣の生地を作れるのは新潟の1社のみ。一般的なプリント生地にはない素朴な風合いです。

レーザー加工

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レーザー加工はデニムの加工によく使われる技法。インディゴで染めたデニムを立体に履かせ、レーザーで経年変化のような風合いを彫刻していきます。昔は一つ一つ手作業でダメージ加工を施していましたが、それを元に模様をプログラミングすることで、簡単に加工できる技術です。

写真を元に彫刻していくイメージ 無限に可能性が。

ボタニカルダイ

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ボタニカルダイは植物染料を使った染物ですが、「草木染め」とは少しことなります。天然染料のみの草木染めは、洗濯などで色が落ちやすく、仕上がりもぼやけてはっきりしない色合いになってしまいますが、ボタニカルダイは植物染料で染めた後、化学染料を1~3%ほどのごく少量加えることで色落ちしにくく、鮮やかに染め上げる技法です。

化学染料での染めものはCMYK(シアン、マゼンタ、イエロー、ブラック)の4色の掛け合わせでできていますが、自然界の色素は無数に存在する色の粒子が掛け合わさって複雑で奥深い色合いを織りなしています。

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同じ植物でも染料を抽出するときの温度や、抽出方法などの差で、全く違う色合いに。


「普通の草木染めは、繊維に染料を固着させるために鉄などを使うのですが、そのせいでくすんだ色になってしまう。植物で染めた本来の美しい、鮮やかな色を楽しんでほしいので、タンパク質ののりを使って色を固着させるボタニカルダイという技法を使っています」

と内藤さん。実際にボタニカルダイの生地で作られた服は、自然の力強さを感じる鮮やかさ。それでいてシンプルな単色に見えても、退屈な単純さではなく奥深さを感じさせる色合いです。

「素晴らしい技術だと確信しながらも、実は100%植物染料ではないことへのモヤモヤは抱えていました。でも、ある時山梨のワインの作り手さんと話した時に「うちは葡萄に農薬をつかっています。無農薬でまずいワインを無理に飲むよりも、極力最低限に抑えて農薬を使って、本当に美味しいワインを作った方が絶対にいい」と堂々と言われた時に、はっとして」

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「自然だから仕方ないと、あきらめて納得のいかないものをつくるより、誇らしく世に出せるものを作ればいいのだと背中を押された気分でした。実際に、世に出して、いいと思ってもらえなければ選んでもらえないのだから」

それでもアパレルメーカーが新しい生地を使えない理由

窮地に立たされながらも、技術を活かした新しいサンプルを持ち込んでくる産地の熱意に押され、なんとか商品になるようにと、OEMメーカーでもあるリブルスはクライアントのアパレルメーカーに国産生地を使うように勧めました。

しかし、どんなに魅力的な生地で、アパレルメーカーが使いたいと望んでも、それは容易には実現しないと言います。

「日本の物性の基準はとても厳しく、『風合いがよい』と感じる生地は基準を通らないことがほとんどです。どうしてもその生地を使いたかったら、基準に通るために試行錯誤していくことになるのですが、アパレルメーカーは商品開発サイクルも早く、お金もないので失敗できない。『失敗させてもらえない』状況で服作りをしているので、物性基準を確実に通る生地にしか手を出せないのです」


日本の物性基準の厳しさと、試行錯誤をする余裕のない商品開発サイクル。その2つの障壁に阻まれて産地の面白い生地は使ってもらえず、使ってもらえないから基準を突破できないという悪循環から抜け出せないと言います。

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「だったらもう、自分たちで実績を作ろう。産地は自分たちが守ろう」
という思いから自社ブランドの「stand」を立ち上げました。

業界の中間地点、OEM企業だからこそ見えていたものと、今だからこそわかること

繊維業界は、このデジタルの時代に未だFAXで受発注がされていたりと、アナログさの残る業界だと言います。

そんな中、リブルスは1993年頃から当時はかなりの高額投資だったmacを使ってデジタルで生地デザインに取り組んだり、2003年頃にはかなり先進的な試みだった生地のネット販売、2004年にはOEM企業でありながら自社ブランドを持つという、当時どこも取り組まなかったことへ挑戦してきました。

「繊維業界は本当にデジタルリテラシーが低くて、古い体制を変えにくい。デジタル化してデータや知見を残すこと、そして作り手もネットを通じてお客さんと繋がることをしていかなければと考えていたので、ネット販売や自社ブランドサイトづくりなどに取り組んでいました」

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と語る浦社長。実際には当時立ち上げたばかりの中国の縫製工場が忙しく、軌道に乗せることは難しかったそうですが、挑戦したことで見えたものも多くあったと言います。

「BtoCで生地販売をしていると、一般人の主婦の方が子供服をつくるために生地を買ってくれました。その方は自分のこどもにつくるだけでなく、型紙と生地をセットにしたものの販売もはじめたのですが、一反60mもある生地を何反も買うようになっていって。ちょうど自社ブランド立ち上げの話も出ていたので、参考にして子供服のラインも作ってみましたがダメでした」

「いまでこそ、SNSでフォロワーが何万人もいるインフルエンサーもたくさんいますが、その走りというか、その主婦の方のセルフブランディングが優れていた。みんなその方から買いたいから売れていたということに、当時は気付けなかった」

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そんな失敗も経て、形になったのが、いまの「stand」だったと言います。
しかし、「自分たちがやらないと」「産地の生地のことを伝えたい」と、試行錯誤を繰り返して服を作り続けてきたが、ふと原点に立ち返った時に「服をつくることが正解なのだろうか?」という疑問が湧いたのだとか。

本当に必要なのは、生地のことを伝え、語る場を作ることであって、その生地のは服の作り手が編集してくれるのではないか?自分たちにできることは、「伝えること」と「作り手の手伝いをすること」ではないか?と

「原点は『生地や産地のことを伝えたい』という思いから生まれたstandでしたが、服にすることでターゲットが限定されてしまっていたことに気づいたのです。だったらやることは『服屋じゃない、生地屋だ』そう確信を持てました」

「だから今後は全く新しい形で、『あたらしい生地問屋』としてのstandのあり方を模索しながら、生地産地と作り手、使い手をつないでいきたいと思い、再出発しました」

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30年の長きに渡り繊維業界の上流から下流までを広く見つめ、挑戦してきた自分たちだからこそ「あたらしい生地問屋」として伝えられること、できることをやっていきたい。そんな思いで再スタートを切った。それがstandです。


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