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あたり前に行い過ぎているコミュニケーション

私は「コミュニケーション発達に課題がある」「子ども」を支援する言語聴覚士という仕事をしている。

関わる子どもの多くは「自閉症スペクトラム症」という診断がついており、特に対人関係における相互的なコミュニケーションに独特さをもつ。

それゆえ、私たち言語聴覚士は彼らが「気持ちよく行動できるような言葉がけ」を工夫しながら関係を紡ぐ。

例えば、自閉症児は「見通しが立つ」ことで苦が少なく行動できる特性をもつ。見通しが立つとは、今から取り組むことのイメージが持てることや、始まりと終わりが明確であるということ。見通しをもてると、安心して行動を開始できたり、また最後までやり遂げようと努力することができる。

もしも、彼らにとっては難しいそうに見える得体のしれない教材を、ジャーン!!(ドヤ、たのしそうやろ!)と出しでもすれば、こちらの思惑に反しシューっと煙を巻いて逃げてしまうだろう。
※もちろんそうでない子もいる。

日常生活の中でも、何度も訪れたことのある場所は走り回って楽しめるのに、初めていく場所ではその敷居も跨げない、ということがシバシバ起こる。

そのため、私たち言語聴覚士(支援者)は、よくこんな声かけをする。

・これから◯◯という場所にいくよ
・お勉強が上手にできたら、そのあと遊ぼうね
・時計の長い針が12のところにきたら終わりだよ

言葉だけでは理解が難しい時には、次に行うことの写真をみせたり、タスク数を1・2・3と書いたり、時計の針を子ども自身に動かしてもらって「心算」をしてもらう。

特に上記のような「声かけ」は「基本のき」で、よく使用する。
さらに言えば、これは発達障害の有無にかかわらず、どんな子に対しても有効だ。

大人も、この先に何がおこるかが分からないと不安になるのではないだろうか?これは未来を予測した経験の少ない子どもであれば、尚更のことなのだ。

しかし、私はこどもの見通しを促す声かけを当たり前におこないすぎていたようだ。
自分の専門職としての「一般感覚の欠如」に対して猛省する出来事があった。

その気づきは、ある親御さんと他の職員の一連の会話を耳にした時のことだった。

親御さんは悩みを抱えていた。

1歳のAちゃんは、デパートにいくと大きな声で叫んでしまう。やめてと言ってもあやしても治らない。周りの目が気になり外出をするのが億劫になる。

それに対し、他職員はこんな助言をした。

「子どもに、事前にこれから何が起こるか説明してみたら?」

私はその言葉をきき、はっとした‥‥。

事前に説明されていなかったのかぁ‥。

助言を聞き、実際にやってみた親御さんは

デパートに入る前に「今から◯◯でお買い物するよ、その間は静かに一緒にお買い物しようね」って伝えたら、いつもは叫ぶのに、すごい大人しくしてたんです。こんなに言葉が理解できると思っていませんでした。

私たちにとっては基本のコミュニケーション。でも、初めて子育てをするお母さんにとっては、わからないこともあるのだ。

自分自身が当たり前に行いすぎていて、親御さんがそこを逃していることに気付けなかったことに、猛省した。そして、他職員の助言があまりに的を得ていたことに深く学ばせてもらった。

「先生といる時は、どうしてそんなに集中して勉強するのですか?」
「なぜか福原先生の言うことはきくんです」

と親御さんから声かけをもらえることがある。でも私はこの言葉に甘んじていたのではないか?

私が子どもの特性を理解し対応することは、専門職として当然の務めだ。もっと大切なことは

「基本的」で「すぐに真似のできる」コミュニケーション技術を親御さんに伝えること

子どもと私の関係だけが紡げてもまったく意味がない。普段子どもに関わる時間の長い親御さんや、保育園や児童発達支援事業所のスタッフが関係を紡げるよう、私たちが抱えている技術をわかりやすく伝達しなければならないのだ。

専門職として大切な視点に、改めて立ち帰らせてもらえる出来事だった。

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