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スヌーピーの配られたカードの話


スヌーピーは、私たちの人生にとって大切なことを言ってる。

ルーシー「Sometimes I wonder you can stand being just a dog ….」
(時々、わたしはどうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ。)

スヌーピー「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」(配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)

引用元:モチラボ スヌーピーの名言より

噛みくだくと、「僕は犬として生まれてきてしまったのだから、それを受けとめて犬として生きるしかないのさ」という感じだろうか。

私は、この手のはなしが嫌いだった。

生まれ持ったカードが、ダサくみえて仕方ない。価値がないように思えるし、他人のカードが羨ましくて仕方ない。手元にあるカードで勝負する気も起きない。

「ハイそうですか、このカードで頑張ります」と、簡単に納得できるわけないだろうと。神さまにそう、訴えたくなった。

だから私は「美しい容姿」というカードを持つために、美容整形に投資してみた。

でも、ダメだった。

美しい容姿というカードを得る以前に、顔の造形を変えるというのは、限界がある。別人にはなれない。という、ツラい現実を知る機会になってしまった。

もっと頑張れば手に入る?

あと何百万、何千万と整形費用をかけ、膨大な時間を費やしたら、本当に「美しい容姿」という新しいカードは手に入るのか。

無理でしょう。

私はもう、終わりの側まできている。断崖絶壁のフチに立って、あと数歩進んだら、海の底に落ちるみたいに。

いくらかけても、手に入るはずはないのである。私がほしい美しい容姿は、非現時的で、無謀な幻想なのだから。

寂しさや諦めが入りまじったような感情を、言語化する能力は今の私には持ちあわせていないけれど、ただ「潮時なんだな」と深く感じる。

本当はアンジェリーナ・ジョリーみたいに生まれる予定だったのにな。いや、冗談だけど。

♦︎♦︎♦︎

他人のカードを羨ましく、欲しがってしまうのは、もっと別の理由があるのではないかと思う。

自分自身を認められない、つよい自己否定や自己嫌悪による反動とか。

「他人のものは、俺のもの」とわがままを振りかざすジャイアンみたいに、他人のものを自分のものと勘違いして、欲しくて仕方ないのである。無い物ねだりなのも、いいところ。

よいカードをもっている他人が、幸せそうに見える。恵まれているように見える。それはきっと、自分自身を認められずに幸せではないから、他人の幸せも許せないのである。

「美しい容姿」のカードが手に入らなかった悔しさは、わずかに残っているけれど、手元にあるカードへの不満を消化して、ようやく「配られたカードで勝負するしかない」の言葉にうなずけるようになったのは、最近のこと。

まあ、スヌーピーが言うように「私で生まれてしまった以上、私という存在で勝負するしかない」という諦めというか、受け入れというか。

でも、フラットに考えてみると、私は他人に賞賛されるようなカードは持っていない。かといって、なんのカードがないわけでもない。

羨ましさによって、他人のカードしか目にはいらず、手元にあるカードがみえていないだけ。要は、どこを見ているのかという、視点の問題なのだ。

しかも羨ましさは、手元にあるカードをないものとするだけではなく、価値がないように思わせるパワーまであるから厄介だ。

♦︎♦︎♦︎

これを読んでいる人の中に、生まれ持ったカードに不満がある。新しいカードを得ようと、奥歯を噛みしめながら努力していたり、スヌーピーの言葉に腹が立つ人もいるかしれない。

では「神さま」ならどうだろう。

はじめに伝えておくと私は無宗教だけど、好きな本の中に「能力」に関する知ってほしい話がある。

聖書の中には、能力を「タレント」という言葉に置き換えた、たとえ話があるそうだ。

主人が遠くに旅立つ。それにあたって、3人の僕にそれぞれ5タレント、2タレント、1タレント渡すところから話がはじまる。

要約すると、能力とは大小異なっても誰にでも配られるものであり、その能力を図々しく使ってはならないし、他人の能力を羨ましく思うのも、使わずに取っておくのも許されない、という話だ。

しばらくして旅から戻ってきた主人は預けた金の精算を求める。面白いことに、金を使い込んだかどうかを調べるのではなく、いくらに増やしたかが調べられるのである(中略)

この譬えが言おうとしている第一の事は、まず能力、すなわちタレントとは、いただいたものであって我が物顔に使ってはいけないと言うことだろう。

第二に、他人と能力の程度が違っているからといって、羨んだり、威張ったりする筋合いのものではなく、主人が帰る日まで、つまり神と御まえる日までに、それを世のため人のためにどれだけ使って増やすかが問われていること。

そして第三は、自分が与えられた能力はそれがいかに僅かなものあろうとも、地中に埋めておくことは許されないということである。

引用元:愛をこめて生きる ”今”との出会いを大切に P.46~47より

引用文を読んで生まれたのが、このツイート。


ここでいう能力(タレント)とは、カードにも例えられる。

どの人間にも配られる能力、すなわち手元にあるカードを使わずに、他人のカードを羨むのは、神から怒られるような罪なのだ。


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