![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74133359/rectangle_large_type_2_6140efbad04e07f4a59a58e432eabf07.png?width=800)
価値観
基本許されないことに、今の価値観で昔を評価することがある。
法の不遡及という理念がある。今の法令などでそれがある以前の行為を適応することである。無論一般的な国家なら当然のことだがそれが適応されない国もあるらしい。
法でさえそういう概念があるのだから言わずもがなである。
今では奴隷制なんてあり得ないが昔はそれが普通の時期も長くあった。それを評してあり得ない!許せないというのは違う。
また、20世紀初頭までは帝国主義が跋扈していたから国同士奪わなければ奪われる、力には力で対抗するのが普通の国の思考だった。弱いとその権利を訴えることさえできない時代だ。
それを踏まえて今の価値観で当時を断罪するのはダメだと思う。
今現在、その様なことをしでかしそうな、または既にしている国が存在する。
その国は曰くお前たちも昔していたではないかと。
そんな過去を踏まえて今の世界秩序があるのをわかっていない。
言い方は悪いのかもしれないがそういう過去があったからこそ今がある。
歴史に学ぶとはそんなことだと思う。過去に学び今の価値観に合わないことは繰り返さない、そんな思いが大切だと感じる。
それは文化にも言える。昨今はジェンダーフリーやらSDGSやらが叫ばれている。その権利を主張するのは当然だと思う。そのことに否定はしないのは価値の多様化が言われている昨今だからだ。
しかし鑑みるにそれらを訴える人に過激にしか聞こえない声を散見する。
ヴォルテールの言葉とされている以下の言がある。
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
多様性を謳うならこの言葉を先に置いておかねばならないと思う。否定だけまたはこちらだけが正しいでは何も始まらない。それこそ正しさなんて千差万別だから。しかしそんな中でも否定できないのが人の持つらしく生きる権利。それを蔑ろにすることはあってはならない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?