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オーケンと岡田斗司夫対談(『岡田斗司夫世紀末・対談マジメな話』株式会社アスキー、1998)まとめ

・オ:サカキバラ事件の犯人は筋肉少女帯の曲から影響を受けてるんじゃないか
・岡:宮崎勤は内向的な青春を送った若者たちの代表として捕まってくれたイエスキリスト、「宮崎は特別であれはオタクじゃない」とオタクが嫌だった
・オ:コンプレックスを外に出したり知識を外部に発表する場があれば、事件は起こらなかったのではないか
・80年代小学生女子に興味を持つことがおしゃれだった時が、風のように一瞬流れた
・オ:どんなに気味の悪いことでもスポットライトを浴びれば、あるいはメディアに乗れば、女の子は「キャーッ」
・オ:男の場合うちにこもっていく原因に異性と交流できないのがある。ソロバンでもいいからメディアに進出してしまえばいい
・岡:僕は女の子では晴れなかった→オ:それは晴れないですよ、結局。生涯晴れない
・岡:宮崎勤事件で、世間様にばれたなと思った
・オ:オタクになれなかったコンプレックスがあった。宮崎勤の部屋、オタク的生活に憧れていた。今日これを初めて言えてすごく解放された。そのコンプレックスを持った自分が世の中の人々にオタクの基礎知識の部分を振り撒く。広く浅く基礎知識を持っているだけなのにそれを振りまける変な才能があり、そうするとメディアがあとからついてくる。
・岡:小学校から(オ:諸星大二郎の漫画をコピーして配ったり)校門前で軍歌を刷って配ったりオタク啓蒙運動をしていた。→オ:「それは本当に世直しオタクですよ。オタク三島系というか。」
・岡:8ミリフィルムを作って儲けて、バンダイからお金をもらって劇場公開したらかすりもしなかった、世直しできないと鬱屈。ならばバブルだから古臭いこと言わずロリコンのままいこう→宮崎事件でその方向もせき止められる。行動を変えようとしたらオウム事件でもう一方に残っていたSFファン世直し運動もだめに。宮崎とオウムは二大ばれただが、サカキバラ事件は(オ:オタクに憧れてるヤンキー)周辺の人たちという印象
・オ:新興宗教オモイデ教がオウムの一連事件にそっくり。同時期いとうせいこう、ビートたけしの若者オピニオンリーダー3人が新興宗教に関わる小説を書いている。オウムが学祭を勧誘するサークルの名前が日本印度化計画、オウム系のファミリーマートに勤めていた(岡:「日本の暗黒史にちょっと力を貸しているというか、グルですね」)「俺は、ユングの言うところの、そういう犯罪を起こす人の元型、アーキタイプなんですよ。でも俺は犯罪者にならなかったわけですね」
・岡:それはメディアに自分を出して仮想化したから。仮想世界がいけないんではなく自分を仮想化するのに失敗した人が現実で落とし前つけようとしたら殺人とか世直しに走る
・オ:江戸川乱歩の小説内の犯罪者たちも自分のオタク的要素を現実で折り合いつけようとして結果として犯罪に走った悲劇を喜劇として描いてるんじゃないか
・岡:いわゆる自分を仮想化する傾向の強い人は実際に仮想化しないと生きづらくて死ぬか他人を殺す
・オ:駆け込み寺みたいなものがあればいい。そういう作業をしていたのは寺山修司ではないか。海のもの山のものとわからないやつをとりあえずひっつかまえてきて表現の場を無理矢理にでも与える
・岡:確かに劇団を作って癒すというのはあるが、また組織という現実があると入りきらなくなるから複数の表現の場を持つしかない
・オ:そうなんだけど、複数持つとまた元に戻って中途半端にやってる自分はなんだろうとなっちゃう
・岡:それは一生解決せず引き受けていくしかない。これは欲求というより不安
・オ:オタク系ははじめに創作意欲を持っちゃう、これを持つと人間は不幸で何かやらなきゃいけない強迫観念にかられる。俺は今誰かに型にはめてもらいたい気持ちがある。31にもなって
・岡:サカキバラ少年も仮想な自分を作り、猫の死体を自分の作品に
・岡田以前のオタクは戦争経験から生まれた高度経済成長への憧れとマルクス主義で日本を作った、生きるか死ぬかの実地体験をしてないオタクの岡田やオーケンはガンダムやマクロスを組み合わせて2000年代の日本を作らないといけない。
・オ:一番心配なのは山田花子の漫画に憧れ、タコシェに行ってガロとかクイックジャパンを読んでる子→岡:「なめるように読んで、ライター希望のはがきをガーッと書いてるような女の子ですね」→オ:「山田花子さんになったら、あんた、人生地獄だよっていうことを、多分少女たちはわからないと思うから。」
・岡:援交ブルセラやってない女子高生はあそこまで享楽的なものをメディアで毎日毎日見せられるといきなりシリアスのシリアス通り抜けて、自己憐憫の極限までいかないと→オ:そういうタイプの人たちの興味ってそれこそゾディアック事件やマンソン事件、現実逃避したい思いからドラッグへの憧れも強い。オタク系でロックやってると周りにそれでだめになった人がゴロゴロ、本当にだめだよと教えてやりてえ。けど聞く耳持たないだろうな
・岡:90年代のどこかでクリエイティブの時代は終わった気がしてる。以前は文化の海は無限で過激なものも薄まっていった。(オ:宇宙は時間も空間も情報の集合体で、許容量有限ならば、情報の詰め込みすぎで光化学スモッグ起こしちゃう)インターネットで情報は有限になった
・情報が多すぎるとセーブするためにたとえば人を殺しちゃいけない常識を捨てようって人もでてくる

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