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掌編小説 父の腕時計

 幼い頃から父のことがあまり好きではなかった。いつも眉間にシワを寄せて難しい顔をしていた父。褒められたことなんて、一度もなかったように思う。
 僕が二十歳になったとき、父は腕時計を僕にくれた。こんなことを言いながら。
「これからお前はもう大人なんだから、しっかり時間を守らなきゃいかん」
 うへえ。またお説教かよ。僕はそれから時計の音が苦手になった。もちろん、父がくれた腕時計なんて、しようとは思わなかった。

 そんな父がすっかり変わったのは、僕が結婚して息子のマサルが生まれてからだ。父はマサルに対してはいつもニコニコ笑っている。マサルはじいちゃんが大好きらしい。
「父さん、変わったよね」と僕は母に言った。
「そうかしら」
「そうさ。昔はもっと厳しい人だった」
「そうでもないわよ」と母が僕をあしらう。
「いや、そうだった」僕が頑固に言い張ると、母は答えた。
「でも、血は争えないんじゃないかしら。恵さん、ぼやいてたわよ、あんたがマサル君に厳しすぎるって」
「別に、厳しくはしてないよ。ただ、ちゃんとしなきゃって思ってるだけで」
そう言うと、母は笑って
「その言い訳、昔のお父さんとおんなじ」と言った。

 夜の八時、僕は運転席でマサルを待っている。塾の授業が終わるまであと数分だ。教室からたくさんの子供たちが出てくる。その中にマサルを見つけた。助手席に座ったマサルに僕は尋ねる。
「今日のテスト、どうだった?」
「できたよ」
「そうか」
 でも、まだ浮かれたりするなよ。ついそう言いたくなるのをぐっと堪える。
「今日は急いで帰るぞ。じいちゃんとばあちゃんが待ってる」
「来てるの? やったあ!」
 父がくれた腕時計の秒針が不満げに僕を急かす。分かってるさ、ちょっと待ってて。僕の中の父は、やっぱり今も昔の口うるさいあの人のままだ。

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