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恐竜はいつだって過去の、もう取り戻せない巨大な夢の塊なのだ ~レイ・ブラッドベリ著「恐竜物語」のこと

十一月の夕暮れの灯台。霧の中の赤や白の信号の光。霧笛の響き。

灯台守のぼくが陸へ上がる前日、同僚のマクダンは海の神秘について話し始めます。

「海にはいろんなものがいっぱいつまっている」

パイプをふかしながら、マクダンは言います。

海の底に沈んだ土地。そこにある太古の世界。

「お前もここにきて三カ月だ。ジョニー、そろそろ覚えておいてもいい。毎年、いまごろになると――」

マクダンは闇と霧の奥をそっと窺いながら言うのです。

「何かがこの灯台をたずねてくる」


この本には4篇の物語と2篇の散文詩が収められています。そしてそのすべてに、挿画が描かれています。

序・まえがき ケネス・スミス画
恐竜のほかに、大きくなったら何になりたい? デイヴィッド・ウィースナー画 
いかずちの音 ウィリアム・スタウト画
見よ、気のいい、気まぐれ恐竜たちを オーヴァトン・ロイド画
霧笛 ステランコ画
もしもわたしが、恐竜は死んでいない、と言ったとしたら ゲイアン・ウィルスン画
ティラノサウルス・レックス メビウス画

本作の前口上を述べるのは、恐竜を愛するもう一人の「レイ」、アメリカ特撮映画の巨匠レイ・ハリーハウゼンです。そして、それをうけてのブラッドベリのまえがきが続きます。

男の子ならだれでも目を輝かせる存在「恐竜」。そんな少年の心にこだわり続けた同い年の二人の「レイ」。ひとりは恐竜を産み出す者となり、ひとりは恐竜と会話を交わす者となったのでした。

人生のなかばを過ぎたいまになっても、わたしの意見は変っていない。恐竜、そのつぎはツタンカーメンである。三番目には何をおいたらいいか。それはまだ決めかねている。月にしようか。それとも火星か。どちらも決してわるくはない。しかし第一位はやはりステゴザウルスとその仲間だ。
私が作家への道を歩むきっかけをつくったのは恐竜である。その道すがら、編集者の目にとまるのに一役買ったのも恐竜。そして一九五〇年に書いて発表した短編(中略)「霧笛」は、わたしの人生を、収入を、小説作法を永遠に変えてしまった。

ブラッドベリは「SFの吟遊詩人」と呼ばれます。詩人が詩人たるゆえんは、恋をしているからでしょう。そして彼が生涯で最も恋したものは、それは恐竜だったのでした。

「霧笛」はSF史上だけでなく、文学史上に残る傑作であると僕は思います。たとえ最新の研究によって首長竜の首がキリンのように直角にもたげられないことが分かったとしても。

恐竜が科学の対象である以上、過去は否定され、最新の研究で更新されていくでしょう。最近のティラノサウルスには毛が生えているくらいです。

そう、確かに、ブラッドベリが恋した恐竜というものは今はもういないかもしれません。一九五〇年代に描かれていた恐竜のイメージというものは、もはや絶滅してしまったのかもしれません。

でも、それはいかにも恐竜らしい気がします。恐竜はいつだって過去の、もう取り戻せない巨大な夢の塊なのだから。

そして未来の少年たちも、やはり恐竜にひきつけられるのだと思うのです。何度イメージが塗り替えられたとしても、何度イメージが絶滅したとしても。

それはなぜでしょうか?

その答えを科学で解き明かすことはできません。もしも解き明かせるとしたら、それこそが文学や詩の力なのかもしれない。

ちなみにこの本はもう絶版となっているので、古本でしか入手することはできませんが、「霧笛」は創元SF文庫の「ウは宇宙船のウ」にも収録されています。未読でご興味のある方は是非。

余談ですが、本書の冒頭を飾る「恐竜のほかに、大きくなったら何になりたい?」も好きです。

僕もはるか昔「大きくなったら何になるの?」と聞かれて、大声で「きょーりゅー!!」って答えていた少年でしたから。  



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