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ごぞんじなかろうと思うが、わたしは、学校ネズミなんだ ~岡田淳著「放課後の時間割」のこと

ある日、図工の先生である主人公は学校で一匹のネズミと出会います。そのネズミは白衣を着ていて、それに、なんと人間の言葉を話せるのです。

そのネズミによると、野に野ネズミがいるように、ドブにドブネズミがいるように、学校には学校ネズミがいるそうです。

学校ネズミは図工の先生に、彼らの間で語り継がれてきた物語を話し始めるのです。


☆☆☆  

なにか困ったことがあった時、人はたいてい偉い人や偉い組織に話を聞きに行きます。

そうすると彼らは「ふむふむ、なるほど。そういう時はね、こうすればよいのだよ」なんて立派な提案をしてくれるので、「あー、よかった。さすがたいしたものだ」と言いながらみんなでそれを実行しようとするのですが、まあそういうのは決まってうまくいかなかったりするものです。

それが落語なら面白い噺にもなるでしょうが、現実だったら困ったものですね。

物語というのは、いつも小さいものから語られるから意味があるのだと思うのです。

大きなもの(だと自分で思い込んでるもの)から語られる物語というのは、いつだって押しつけがましくて迷惑なだけですから。

面白い話をする人は「なんだか悪いね、話聞いてもらっちゃって」と言いますが、面白くない話をする人は「なぜだれも私の話を聞かないんだ!」と怒っているものですよね。

学校ネズミにとっては、学校も、先生も、生徒たちでさえ、みな自分より大きなものたち。

自分よりも大きなものたちについて語るとき、そこには愛と、憧れと、なによりも根本的な勘違いがあります。だからこそ、面白くて楽しいのです。


なぜか僕たちは誰でも、成長するにつれて大きなものの視点で話さなければいけないような、そんな気になってしまうようです。

面白いことよりも、正しいことを言わないといけない気がするのです。

でも残念ながら、正しい話をしようとすると、面白くなくなるので困ったものです。

つまらない話を我慢して聞くのが大人だったりするのだから、これまた困ったことです。

「放課後に時間割なんて入れられたらかなわない! 遊びに行きたいよ!」なんて、勉強が嫌いな人は思うでしょうが、この作品は教えてくれるのが先生ではなくてネズミなのだから、その授業が面白くないはずがないのです。

……なーんてつまらない話は抜きにして、これは僕の大好きな一冊です。プラタナスの木と白ウサギの話がお気に入りです。  




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