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どんなことがあっても、必ず未来は明るい。~金城一紀著「対話篇」のこと

(この記事はある読書コミュニティの「秋の旅」というテーマに寄稿したものです)

テーマが「旅」ということで、最初に思い浮かんだのが本書「対話篇」の最後の一篇「花」という作品でした。

でも、どういうわけだか、ちゃんと内容を覚えていたわけではなかったのです。

いや、大まかな話の流れはもちろん覚えていました。

主人公がある日、脳の病気で意識を失ってしまうこと。

命の危険があるその病を治すためには手術をしなくてはならず、もしその手術に失敗すれば今まで生きてきた記憶が失われてしまう、ということ。

そんな彼のもとにアルバイトの話が舞い込み、それは一人の老弁護士とともに車で国道を走って東京から鹿児島へ向かう、ということ。

その理由は、老弁護士の別れた奥さんの遺品を取りに行くためだということ。

だけど老弁護士は彼女について多くのことを忘れてしまっていることに気づき、かつて二人で車で東京から鹿児島へ向かった思い出をもう一度繰り返すことでその記憶を取り戻そうとしていること。

そして何より、最後で明らかになる奥さんの遺品。

この本が単行本で出版されたのは2003年のことですから、読んだのはもう10年以上前になります。そしてこの本の最後に収められた「花」という作品は当時の僕にとっては一番好きな作品でした。

この作品は映画化もされ、それも観ました。物語のラストシーンを、どうしても映像で見たかったから。

なのに、どうしてでしょうか。何か肝心なところを忘れているような気がしたのです。この物語の何がそんなに良かったのか。何にそんなに心を動かされたのか。

でも、物語とは関係ないことはしっかり覚えているのですね。老弁護士を演じたのが柄本明さんだったこととか、映画で使われた車種が原作とは異なっていたこととか。

あと、主人公が語る過去の思い出で、「車庫入れが下手な人はセックスも下手だから」という理由でふられてしまい、「俺は下手じゃねえ、俺は下手じゃねえ」と呟きながら必死で車庫入れを練習した話とか(なんでそんなことを覚えているのだろう?)。

そういうわけで、今度は文庫本の本書を入手して、改めて読んでみたのでした。

そうして読みながら、ふと気づいたのです。

今こうしてこの物語を読んでいる僕が、かつて好きだった物語を忘れてしまって再読しているということと、老弁護士が鹿児島へと向かう車中で別れた奥さんとの過去の記憶を思い出すことが、全く同じだということに。

何だかいかにも作り話っぽいですね。でも本当のことです。

ついでに嘘のような本当の話をもう一つ。読みながら気づいたのですが、この物語はただ「旅」の物語なだけではなく、「秋の旅」の物語だったのです(そこまでぴったりテーマに合うとは思っていませんでした)。

老弁護士は言います。

「確か、何かの本に書いてあったんだけれど、秋は『後悔と記憶の季節』なんだそうだ」
「どういう意味ですか?」
「冬、春、夏と過ごしてきた中で犯してきた過ちを後悔し、それを記憶する。そうすれば次の過ちが防げるし、それまでの過ちもなんらかの形で埋め合わせることができるかもしれない。そして、その記憶を胸に、来たるべき厳しい冬に立ち向かう」

また、この物語のタイトルである「花」は本来春から夏にかけて咲く花なのに、なぜかこの季節に咲き誇っているのです。そしてその花が持つ二つの花言葉が、この物語の重要なテーマでもある。

物語の最後で、主人公は老弁護士に言います。もしも手術が失敗して、記憶を失ってしまうようなことになったら、その時は自分をこの車に乗せて、鹿児島の地にまで連れてきてほしい、と。そうすればきっと、すべてを思い出すことができるから、と。

なぜそう思うのか。答えはとても単純です。

それは、表面的なことをどれだけ忘れてしまったとしても、一番大事なこと、真実の部分をちゃんと忘れないでいれば、僕たちは記憶を失ってしまうことはないのだから。

僕がこの物語のどこが好きだったのか、それを忘れてしまっていたとしても、この物語が好きだったということを忘れないでいれば、こうして読み返すうちにちゃんとその答えにたどり着くことができたように。 


これからの人生の中で、大切にしたい思い出は今よりもっと増えていくでしょう。これからの人生の中で、大好きな本がどんどん増えていくように。

そのなかで、もしかしたら忘れてしまうことだって、あるかもしれない。忘れてしまう本だって、あるかもしれない。

でも、大丈夫。僕たちがこれまで生きてきた中で、自分の心に刻まれたたくさんの大切な記憶、愛する人や愛するもののことは、決して失われない。

失われたように感じたとしても、ちゃんとたどっていけば、取り戻すことができる。

だから、生きるということは素晴らしい。生きてさえいれば、チャンスは何度だってあるのだから。

そして本を読むということもまた、素晴らしい。いつだってページを開けば、もう一度同じ旅をすることができるのだから。 


今から10年後、もしかしたら僕はまた、この物語のことを忘れてしまっているかもしれません。「どこがそんなに好きだったのだろう?」なんて、思っているかもしれません。

でも僕はきっと、この物語が自分にとってとても重要な物語であることは、10年後も20年後も忘れない。

だからその時は、また今回のようにページを開くことでしょう。そうしたら必ず、大切なことを思い出すことができる。

これから先の人生の中で、そんな大切な思い出をどれだけつくれるでしょうか。

そんな大切にしたい本と、どれだけ出会えるでしょうか。

きっと、たくさんの思い出をつくることができるし、たくさんの本と出会うことができる。

そしてそれは、決して失われることはない。

だからこそ、こう断言することができるのです。

どんなことがあっても、必ず未来は明るい。

世界はどうやったって、肯定的でしかありえない。 


そしてこの物語は、主人公のこんな言葉で締めくくられるのでした。

「秋は確実に深まっている。
 いまの僕に、後悔することなど、何ひとつとしてない。ただ、慈しむべき記憶だけがある。徒競走のスタートで転んだことも、バレンタインデーにふられたことも、沖縄で溺れかけたことも、あれもこれも、すべてがいとおしい。それらを抱えて、来たるべき冬を迎えよう。
 間違いない。
 この世界は素晴らしい。
 僕は無傷で生還するだろう。」


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