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現実と幻想はどこまでも分岐し続ける ~J.L.ボルヘス著「砂の本」のこと

本書には「砂の本」と「汚辱の世界史」の二冊が収録されています。その中で今回は「砂の本」についてご紹介。

「砂の本」は13の短編とあとがきからなっています。

本書の最終編である「砂の本」はこのような文章で始まるのです。

「線は無数の点から成り、平面は無数の線から成る。体積は無数の平面から成り、超体積は無数の体積から成る……。いや、たしかに、このような「幾何学の法則による」のは、わたしの物語をはじめる最上の方法ではない。これは真実だと主張するのが、いまや、あらゆる架空の物語の慣例である。しかしながら、わたしの話は、本当に本当なのである。」


「物語」は事象と事象を繋ぐことで出来上がります。

たとえば、「日本軍が中国に侵攻した」という事象Aと「日本軍が南京で虐殺をした」という事象Bを繋ぐと「日本人はなんてひどいんだ」という物語Cができあがります。

もしもこの例えがお気に召さなければ「日本軍が南京で虐殺した」のところを「アジア各国を西欧から解放した」(事象B)に置き換えたら「日本はなんていいことをしたんだ」(物語C)という物語になります。まあ、別にどっちでもいいんですが。

要するに「物語」というのは事象と事象を繋げばいくらでも生産することができます。そして現実の世界においてそれをしているのが歴史だったり宗教だったり、あるいは政治だったりするのでしょう。

では、フィクションの場合はどうでしょうか。こちらは言うまでもなく、小説や映画に代表されるあらゆるフィクションもまた物語です。フィクションとしての事象A'とフィクションとしての事象B'を繋げた物語C'としましょう。

では、例えば僕が今書いているこの文章のように、物語C'を読んで僕が思ったことを書いている場合はどうでしょうか。あるいは僕が日本の現代史、物語Cについて「どっちでもいい」だなんてと言って口走った場合には。

そうすると物語CまたはC'もまた一つの事象A''となり、そこに僕という事象B''が繋がることによって、僕なりの解釈である物語C''が生まれることになるでしょう。

そのC''はある人にとっては現実かもしれない(少なくとも僕自身にとっては現実です)し、ある人にとってはこれは僕の妄想に過ぎないか、あるいは完全に間違った解釈であるからフィクション、幻想かもしれません。それはその人にとってのC'''だと言えるでしょう。 

「物語」という観点から見れば、実は語られていることが現実か幻想かなんてことは大した問題ではないのです。現実のような幻想もあれば、幻想のような現実もあるのですから。

僕たちは誰でも過去という「物語」を持っていますが、その「物語」を信じているのはもしかしたら自分だけかもしれない。記憶なんてあてにならないものです。

自分の記憶が完全に現実だ、と言い切ることも、幻想だ、と言い切ることもできない、現実のような幻想と幻想のような現実の混合によって成り立っているのが「私」という存在なのでしょう。 


作者は本書の中で、現実の事象と幻想的な事象を繋ぎ合わせようとします。

現実的な、私小説的な事象Aにはそれを否定する要素B'を、幻想的な事象A'にはそれを否定する要素Bを。

そうして生まれた物語Cは、それが「現実でもあり幻想でもある」という点において、「本当に本当」のものとなっているのです。

だって、そうでしょう? 現実的な現実なんて、幻想的な幻想と同じくらい胡散臭いじゃないですか。 


ところで、「砂の本」とは、主人公が出会った「決して終わりのない本」です。どこまで読んでも終わらない本。

そんな本、あるわけないって?

「物語」を読み終わっても、そこからまた「物語」が始まることもあります。今僕が書いているこの文章のように。

もしかすると今これを読んでいるあなたが何かを思い、それを表現したなら、それもまた新しい解釈、新しい「物語」なのでしょう。

そもそもこの作品自体が、作者がそれまで触れてきた様々な古典文学や彼自身の個人的な体験から繋がってできた「物語」です。

「物語」は無数の点が線となり、無数の線が平面となり、無数の平面が体積となり、無数の体積が超体積となるように、永遠に続いてゆきます。物語は物語を生み、解釈は解釈を生むのです。

つまり「砂の本」とはまさにこの作品そのもののことであり、同時にあらゆる「本」のことでもある。

それは本当に本当の現実であり、同時に、本当に本当の幻想なのです。 


最後に、本書の後書きの最後の一節を引用して、とりあえずの「終わり」としましょう。

「今いそがしく口述を終えたばかりのこのノートが、この一巻の終わりとならぬよう、また、今これを閉ざす人々の、好意に満ちた想像力のなかで、その夢想がどこまでも分岐しつづけることを願ってやまない。 J.L.B」 


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