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賢さのない勇気は、乱暴にすぎない。勇気のない賢さは、冗談にすぎない ~エーリッヒ・ケストナー著「飛ぶ教室」のこと

ドイツのある学校に五人の少年たちがいました。作家になりたい夢を持っているジョニー、正義感が強くて絵が上手なマルティン、弱虫で臆病なウーリ、ケンカが強くていつもお腹をすかしているマッツ、そして、いつも難しい本を読んでいるゼバスティアン。

彼らは学校の寮で暮らしていました。時には上級生や、ほかの学校の生徒たちとケンカをしたり、いたずらをして先生に叱られたり。

もちろん楽しく暮らしてはいるけれど、それぞれ人に言えないような悩みもあったり。

これは、そんな彼らのあるクリスマスの物語です。

この物語にはとても長い前置きがあります。あまりに長いので、なかなか少年たちの話が始まらなかったりします。

でも、この前置きが重要です。なぜなら、そこにはとても大事なことがたくさん書かれてあるから。

それに、作者の気持ちがたくさん詰まっている部分だから。

作者は言います。

「賢さのない勇気は、乱暴にすぎない。勇気のない賢さは、冗談にすぎない」

ケストナーが一番この物語で伝えたかったことはこのことのような気がします。

たとえば、大人が子どもたちにしてやれることがあります。でも、同じように、子どもたちが大人にしてやれることもあるはずなのです。

先生が生徒たちにしてやれることがあるのと同じように、生徒たちが先生にしてやれることもあるでしょう。

友達同士、お互いなにかをしてやったりするのと同じように。

子どもだからとか、生徒だからとか、勉強ができないからとか、ケンカが弱いからとか、貧乏だからとか、なにか問題があった時、そういう、自分は○○だから、っていう言い訳を僕たちはよくしてしまうもの。

誰かに対しても、自分に対しても。

でも、そういう態度は、賢さのある勇気でも、勇気ある賢さでもないのですね。


勇気をもつということは、自分の強さを知ることです。賢くなるということは、自分の弱さを知るということです。

そしてまた、勇気をもつということは、誰かの強さを知るということでもあり、賢くなるということは、誰かの弱さを知ることでもある。

自分にはほかの人にはない強さがあり、ほかの人にはない弱さがあるということ。ほかの人には自分にはない強さがあり、自分にはない弱さがあるということ。

まるで、ジグソーパズルのように。

みんなそれぞれ、特別な形をしたジグソーパズルのピースなんですよね。

でも、だからと言って、自分はこの形なんだからこれでいいんだ、誰かが合わせてくれたらいいんだ、と開き直るのではなく。

それぞれの特別な形のジグソーパズルを、どうやったらきれいに組み合わせられるかな、ということが大事なのでしょう。

自分で少し向きを変えてみたら、誰かのピースとぴったり合うかもしれません。それが勇気と賢さです。

誰かが少し向きを変えて、僕のピースに合わせようとしてくれているかもしれません。だとしたら、それは誰かの勇気と賢さです。

そうやってそれぞれが自分の勇気と賢さを使えば、一枚の大きな絵が完成するでしょう。

ジグソーパズルのピースだけだと、どんな絵なのかわからないけれど、でも、たくさん組み合わされば、その絵がどんな絵かわかる。

この物語は、そんな風にしてできあがった一枚の絵のようなものだと思うのです。


そういえば、クリスマス、というのは子どもたちがサンタを待つ日なのだと思っている人も多いのではないでしょうか。でも、本当はそうではなく、クリスマスは誰もが誰かのサンタになる日なのだ、ということも、僕はこの物語で教えられたのでした。


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