見出し画像

心が壊れた日のこと


消えないでと願いながら、消えていく虹を見つめた。

行かないでと願いながら、遠くなる君の後ろ姿を眺めた。


季節が冬から春に移り変わるあの生温い風が、私の頬に優しく当たるたび、いつも同じ記憶が頭をよぎる。カーテンから差し込む陽の光が、あの頃の私にはどうにも鬱陶しくて、一ミリの明るさもない部屋の薄暗さに至極安心していたっけ。

痛いときに痛いと言えない苦しさとか、助けてを言葉にできない脆さとか、そういう感情に、私の心の悲鳴に耳を傾けることを恐れて、避けて、逃げて、そして壊れた。壊した。

私ならきっと大丈夫だと信じて疑わなかった。


夏、立てなくなった。彼が部屋の床に横たわる私の名前を何度も何度も呼んでいて、たしかに聞こえているその声に、その呼びかけに応えることができなかった。

何かが壊れる音がした。

私は、聞こえないふりをした。


認められている、理解されていると、どこかで甘えて、過信していたのかもしれない。

期待されることが嬉しくてたまらなかった。

求められることで満たされた。

自分の限界を他人に決められたくなくて、必死に闘っていたあの頃。

嘘をつくことでしか、自分を護れなかった。


秋、眠れなくなった。夜がこわくて仕方がなかった。目を瞑ると、声が聴こえた。

あんたはもっと賢い子やと思ってた

人の気持ちもっと考えて

周りがどんだけ苦しんでるかわかる?

消えて

消えて

消えて

全部消えてしまえばいいと思った。私も、私の周りも、思考も、物体も、何もかも消えてなくなってしまえばいいと、そう思った。気がつけば、周りには何もなかった。ずっと大切に握りしめていたものも、ずっと抱えていたかったものも、何もかもそこにはなかった。


冬、消滅した。何のために生きているのかわからなくなった。明日を迎えることがこわくて、今日を終えることに怯えて、ただひたすらに夜だけを愛した。

上手く笑えなくなって、上手く話せなくなって、上手く生きられない自分自身に嫌気がさした。

それでもやっぱり今日は終わるし、明日はやってくるし、希望は絶望に変わる。

それでもやっぱり、彼らだけは隣にいてくれた。

理解してもらいたくて、認めてもらいたくて、子どものように駄々をこねる私を優しく抱きしめて、離さないでいてくれた。


そうして、春を迎えた。綺麗な花に見惚れたり、陽の光を暖かいと感じたり、空を仰いで微笑んだりして、生を丁寧に感じた。

春は私を待ってはくれなかったし、颯爽と過ぎ去っていったけれど、温もりと少しの希望をくれた。

春は私を待ってはくれなかったけれど、私の大切な人たちが、私を待っていてくれた。

私に生きる理由をくれた人がいた。

何も信じられないのなら、俺を信じろと言ってくれた人もいた。

救われた。生きていていいと言われている気がして、安心した。


人の温もりに触れて、包まれて、感じて、そうして過ごした春。癒えていく傷を優しく撫でながら、私は次の夏を迎えた。

もう、一人でも、独りだとは思わなくなった。



いつか、私の言葉が、私の文章が、どこかの誰かの冬の寒さを凌いで、暖かな春を迎えさせてくれますように。

誰かの背中をそっと押してくれますように。

不安を和らげて、包み込んであげられますように。





それでは。
















この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?