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男が好きで、男が嫌いで。#2ー男になりたい男たちー

ところで、連休中の独身アラサーにとって一番困ることと言えば何か。急な呼び出しに対応してくれる友人が少なくなってきたことである。
昔なら、一言投げれば活発に動いていたグループラインも微動だにせず、夜中に酔っ払った友人から電話がかかってきて呼び出されるなんてこともめっきり減ってしまった。

子供がいて、配偶者がいて、恋人がいて。友達の優先順位は、独身と既婚の間で大きく変わる。ライフスタイルと活動時間が違うのだから仕方のないことだけれど。

ー再・集団の男たち

友達。男友達。

イージーな関係と言えばイージーだし、難儀な関係と言えば至極難儀だ。
前回の駄文の中で男子ノリの話をしたかと思う。男同士特有のあの連帯感には名前がついており、「ホモソーシャル」と呼ばれているらしい。
詳しいニュアンスなどは「漫画でわかるLGBTQ+/パレットーク」のこちらの記事を参照していただければと思う。

恐らく前回書いた、集団の男に対して身構えてしまうのは、このホモソーシャルの放つ独特な熱気がそうさせるのだと思う。男は集まると熱くなる。数が多ければ多いほど熱を帯びる。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という死語の通り、集団の男たちは無敵になっていく。

集団の男たちが怖い理由をいくつくか考えてみた。

  • そこに馴染めなさそうな自分

  • 仲間として認められていないのではという恐怖

  • ノリが分かってないサムい奴と思われる

  • 楽しめていていないことが悪である強迫観念

  • 疎外感

あれ? 全て、フィジカル的なものではなく、メンタル的な理由だった。自分の「陰」の部分が刺激される理由ばかりだ。一匹狼、になれない自分の弱さが露呈する気になる。

もちろん、この場所に入れたからといって、必ずしも楽しめるとは限らない。群に入れば自分と比べる対象ができてしまうから更にコンプレックスが増すことがほとんどだと思う。

だのになぜ、この男の集団をただの恐怖と片づけられずに一抹の憧れを抱いてしまうのか。

バカな理由を一つ挙げるとしたら、強そうに見えるから。
(この強そうには、楽しそう、モテそう、面白そう、自分より生き物(雄)として優れていそう、などという多くの意味が含まれていると思う。)

そしてもう一つバカなことを言うと、ホモソーシャルな場はハマってしまうとめちゃくちゃ楽しいのだ。
自分の承認欲求は満たされ、人より上に立てている気分になり、自分の人生が人より豊かだという錯覚まで起こす。他人(女性や自分より弱い立場の男たち)を下に据え置くことで群を成した男たちは、アスリートで言うゾーンに入る。先ほども言ったが、無敵マインドを手にするのだ。

今読んでいる方々がどういう男たちを想像しているかわからないが、これ、いわゆるクラスの一軍男子に限った話ではない。オタク君だって群を成せば無敵になり、ゲイだって群を成せば無敵になる。とにかく男という生き物が居場所を見つけて、群を成してしまうというのは厄介なことなのだと思う。

ー”男”の味を占める

「男が好きで、男が嫌いで。」このタイトルに立ち返って考えてみよう。前回僕は、集団の男を見ると過去の自分が身構えると言っていた。男子ノリという武器を持たずに戦場を処世してきた自分がフラッシュバックする。

しかし、自分が無敵だと錯覚できる場だと、あれだけ嫌だった男子ノリ(ホモソーシャル)を楽しみたくて仕方がない時が無性にある。大人になった今でもだ。

男になりたい、というニュアンスをどうお伝えすればいいのだろうか。
ここで言う男になるというのは、カーストの上位に君臨した気分を味わえないと意味がない。「強い男」以外は男ではないのだ。

例えば、ノンケの男友達と飲んでいるとき、「キャバクラに行こう」という話になる。自分は別に女の子と戯れたいわけではないが、結構ノリ気で夜の街に消える。
実際のところ、女の子をはべらせて楽しんでいるのではなく「肌綺麗ですけど基礎化粧品なに使ってるんですか!?」みたいな話しかしていないのだが、”他の男たちと同様に、この場を楽しめてる自分が楽しくて仕方ない”のだ。これは誰かを下に位置付けることで、先ほど列挙した、男の集団が怖い理由の全てが解消されてしまうということなのだと思う。男女の風俗店では、(金さえ払えば)いとも簡単に男たちをカースト上位に押し上げてくれる。

このお手軽なエレベーターに乗ることで、過去に身構えながら過ごしていた自分が許された気持ちになる。報われた気持ちになる。強くなったと錯覚する。

なんという情けなさ!! 自分が強いと錯覚するのに、他人をだしに使うなんて!!!

そんな情けないことをしてまで、どうして強いと思いたいんだろうか。自分がだしに使われたと分かった瞬間、激怒するようなことを、どうして他人にしてしまうのだろうか。どうして男たちは、こうまでして「男」になりたがるのだろうか。

この「強い男になる」という行為、あの独特な無敵感というのは、男たちの脳内に脳内麻薬を分泌させているに違いない。それくらい、「男になる(強くなる)」というのはこの世で気持ちのいい行為なのだと思う。何度も味わいたくなるあの優越感はひどく甘美だ。

ー1人になった男たち。

さて、この楽しい楽しいホモソーシャルなコミュニティから逸脱して、一人になった自分を客観的に見てみよう。

さっきまでの強気な態度はどこへやら。人には媚びるし、自信は途端に消え失せ、ぐるぐると自分のコンプレックスの渦を周回する。好きな子を相手にキムタクにしか許されないような振る舞いをした日にゃ、滑稽な自分に噴飯してしまう。

もう一度言わせて。なんという情けなさ!!! 

集団から抜け出し、一人になった男たちがいかに弱く、情けないか。人によって度合いはあるにせよ、全ての男たちが味わったことのあるであろうあの孤独や敗北感。

そもそも、何かにつけて勝った負けたと感じてしまう私たちはなにと戦っているんだろうか?

今回の「男が好きで、男が嫌いで。」
集団にまみれた自分は好きで、一人になった自分が嫌いだった。
強い男になれてる(と錯覚してる)自分は好きで、強い男になれない(と思い込んでる)自分が嫌いだった。

この「男の呪い」の話は、こんな2000文字ちょっとじゃ書ききれない。次回はどの呪いについて書いたらいいのか、呪いだらけで途方に暮れる。

散文失礼。今回はひとまずこの辺で。



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