掌編小説『「好き」が恋に変わるまで』

「沙月ってアイデン? 好きだって言ってたよね」
突然杏奈の口から大好きなバンドの名前が飛び出してきて、私の体温は急上昇する。絶対気持ち悪いくらい口角上がってる。
アイデンというのは今人気急上昇中の二人組バンド。昨今の流行を分析した耳に残るおしゃれサウンドな曲が有線でヒットし、世間に知られるようになった。「私は前からアイデンのこと好きでしたけどぉ」とか、さすがに厄介ファン過ぎるから言わない。それでアイデンの株が下がっても困るのだ。
「好きだけどー?」
それが何か?という含みを込めてのなるべく低温な返事。
やっぱり!杏奈は安心したような顔をする。そしてどこかニンマリ顔。同じ女として何かを察する。これは何やら面倒くさそうな、ピンク色の息吹を含んじゃってるな。
「角田くんもアイデン好きなんだって! 『菅地さんも好きって言ってたよ〜』って教えてあげたらめっちゃ嬉しそうだった!今度話してみたいって」
「本当⁉ やった!」
私には角田くんの気持ちがよくわかる。曲は知っていてもアイデンが好き、まで行く人を見つけるのは難しい。‌S‌N‌S上にはもちろんたくさんいるけど、リアルで巡り合えるほどメジャーではない。知られすぎてもチケット取れなくなるから困るけど。
角田くん、か。たしか出席番号的には私の後ろのはずだけど、英語も第二外国語も基礎ゼミナールが違うから、ほとんど喋ったことがない。かろうじて顔が思い出せるくらいかな。あ、でもトミー着てたのはちょっといいなと思ってた。へえ、アイデン好きなんだ!次会えそうなのは木曜一限の学科共通講義かな。
出席番号とトミーくらいしか知らなかった角田くんへの興味が一気に跳ね上がるのを、杏奈は嬉しそうに見ていた。私が落ち着いたタイミングを見計らって、声を潜めて呟く。
「でもね、気をつけたほうがいいかも」
「何を?」
「澤野さんが角田くんのこと好きらしい」
「はあ……」
澤野さんが角田くんと話してる姿を思い出した。彼らのことを意識して見ているつもりはなかったけど、そんな私の記憶にも、二人がよく話している姿が印象に残っている。ん? もしやこれは彼女の作戦なのか?マウントってやつ? ……邪推するなんて、ダサすぎるな私。
「萎えた?」
「別に、関係ないし」
「そっかあ」
杏奈は素直に肩を落としていた。「何だ、つまんな〜い」というよりも「もったいないな〜」というニュアンスだ。……たしかに、リアルでアイデン好きな人に巡り会える機会ってあまりないかも。
「でもまだ付き合ってないんだよね?」
「うん」
「じゃあ横恋慕にはならないよね」
杏奈はニヤリと笑った。全く、焚き付けちゃってさあ。杏奈は楽しそうでいいよね。「らしい」という憶測で碁盤をかき乱し、自分は安全な位置から見ている。貴族の遊びすぎるわ、本当。
そこまでわかっていながら杏奈を怒る気になれないのは、私だけの力では何も始まらなかったからだ。角田くんがアイデン好きだということを一生知らずに、誰かと語らうこともなく、一人でスマホ片手に感想を壁打ちするだけの人生を続けていただろう。
彼と友達ですらない私は、澤野さんと同じ土俵に立っていないのだから横恋慕の可能性すらゼロである。
でも私には、私達には、澤野さんの知らないアイデンという秘密の共通項があるらしい。それは、……素直に嬉しい。
「ありがと、杏奈」
「うん〜。角田くんと気軽に話してみたらいいんだよ。話すのにお金かかるわけじゃないし」
「たしかに。アイドルみたいに積む必要ないわ」
だって角田くんと私は同じクラスメイトだから!
角田くんはアイデンのどんなところが好きなんだろう? いつから好きなのかな。
角田くんが好きなアイデンを、私はますます好きになるのか。
アイデンが好きな角田くんのことを、私は好きになってしまうのか。
後者だったらごめん、澤野さん。私の「好き」が彼の「好き」と共鳴しちゃったら、恋に変わるかもしれないな。まだ、わかんないけど。もしそうなってしまったらそのときは、正々堂々真っ向勝負させてもらうね!

(終)


※本作は文学フリマ東京38の無配ペーパーとして頒布した、「♡=?」の宣伝の書き下ろし掌編です。無配をお手に取っていただいた方、ありがとうございました。
「恋とは何か?」という「♡=?」の主題を、別の角度(異なる登場人物)からアプローチしたものです。

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