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『学習する社会』#5 1.イノベーションから学習へ 1.4「学習する社会」という視座について (研究的なシリーズエッセイ)

1.イノベーションから学習へ

1.4 「学習する社会」という視座について

『学習する社会』#2から4まででは、「学習する社会」を当たり前の表現のように扱ってきたが、この表現は決して当たり前の表現ではない。『学習する社会』と冠したシリーズエッセイでは、「学習する社会」という視座でイノベーションや社会の変化を論考する予定であるが、このシリーズエッセイを進めるにあたって、今回は「学習する社会」という視座の概略を紹介しておきたい。

行為の変化と知識の変化

日常的に我々は、熟慮するにせよ、何気なくするにせよ、その時の状況に応じて、その時持っている知識を活用して行為する。熟慮する場合であれば、明確な目的を持っており、何気ない行為であれば日常的に繰り返し得ている結果がその目的だろう。目的が同じであれば、それまでと異なる新たな行為が為される可能性は、新たな状況に応じる変化、あるいは新たな知識に応じる変化のいずれかであろう(図表1)。

図表1 行為変化の背景

社会的な相互作用を前提とすれば、新たな状況は他者が今までとは異なる行為を選択した結果である。誰かの新たな行為が伝播し、あるいは循環して状況を変化させ、行為を変化させていく。新たな知識を得れば、やはり行為が変化し、その行為の変化は他者の行為の変化へと伝播していく。行為変化の伝播や循環のきっかけが新しい行為なのか新しい知識なのかはここでは重要ではない。

学習と学習の相互作用

学習は分野や対象によって様々に定義されるが、認知心理学における学習は経験を通じての知識の変容と一般的に定義される(今井/野島 、2003)。このシリーズエッセイを進める上での暫定的な学習の定義として、これを受け入れれば、前回までに議論してきたように社会的な学習の過程と社会変動やイノベーションの議論の区別はできない。第一に、「学習する社会」という視座は社会の変化を学習という観点を有している。

図表1に示したように、行為の変化は社会的の中で伝播、あるいは循環する。ある個人の知識の変容という学習は他者にとっての状況を変化させ、行為を変化させ、結果的にその他者の知識の変容を導く。学習の主体が個人か組織かあるいはコンピュータかを問わず、学習はその結果の発現である行為の変容を通じて相互作用し、その経験を通じてお互いの知識を変容させる。第二に、「学習する社会」という視座は学習の相互作用に注目する観点を有している。

水準の異なる学習主体

社会科学において学習を議論する場合、学習する主体は必ずしも個人とは限らない。「学習する組織」についてはセンゲの概念(P.M.Senge、1990)が著名である。センゲは学習する組織について次のように述べ、学習の主体を組織に属している個人としている

人々が真に望んでいる結果を創り出すために自らの能力を継続的に拡張し、新しく発展的な思考パターンが育まれ、集合的希望が自由にされており、人々が共に学ぶ方法を継続的に学習している組織。

P.M.Senge(1990)、p.3。

もちろん、字義的に解釈すれば、「学習する組織」の学習主体を組織ととらえることもできる。寺本(寺本等、1993)は組織は学習する存在なのである、として学習の主体を組織としている。いわゆる組織学習の議論では、学習の主体を組織とするか個人とするかが常に問題とされてきた。安藤(2001)は組織学習論をマーチ系、ヘッドバーグ系、アージリス系の三つに分類した上で、学習の主体がマーチ系では組織、ヘッドバーグ系では個人としての組織のトップ、アージリス系では個人としての現場のメンバーであるとしている。また、白石(2009)はセンゲの学習する組織論の学習主体を個人とし、従来の組織学習論の学習主体を組織としている。既存研究の評価に関して二人の主張は一致していないが、学習主体の多様性については一致している。

一方、知識管理の分野では西田/角/松村(2009)が社会知デザインの考え方を提唱している。そこでは、社会知を次のような能力としている。

行動主体が他者との社会的な関係を構築し、利用することによって種々の問題を解決する能力、および集団としての経験から学び問題を解決する能力。

西田/角/松村(2009)、pp.2-3。

この社会知の議論は個人を基盤としたものにも思えるが、彼らは巨視的水準(学会や会社などのコミュニティ)の社会知に関して次のようにも述べており、人びとに共通している知を視野に納めようともしている。

明示的ないしは暗黙的に独自の知識プロセスが存在するという図式が考えられる。…コミュニティ活動を通じてコミュニティ独自の知の体系(コミュティ知識)をつくる。

西田/角/松村(2009)、p.175。
図表2 学習の相互作用

個人以外を学習の主体とできるか否かは一つの争点でもあるが、「学習する社会」の視角では、組織学習を相互作用した個人学習の単なる集積とはとらえない。個人と同じように組織も学習すると考える。したがって、第三に「学習する社会」の視座は、個人間の学習の相互作用や組織間の学習の相互作用だけでなく、個人と組織の間や組織と社会、あるいは個人と社会の間の学習の相互作用という水準の異なる主体間の相互作用を視野に収めている

大域的な社会知も、局所的な組織知や個人知も同時に変化しており、全ての水準の知は同じ水準でも水準を超えても相互作用しながら変化している。ひと言で言えば、「学習する社会」は多様な水準の学習主体が水準内・間で相互作用しながら多様な水準の知が同時に変化している社会である。「学習する社会」の視角は、社会の変化だけに焦点を合わせるのではなく、個人の変化や組織の変化、社会の変化という異なる水準間の相互作用を視野に収めながら「個人の学習」や「組織の学習」、「社会の学習」を分析し、解釈しようとする視角である。

今回の文献リスト(掲出順)

  1. 今井むつみ/野島久雄 (2003)『人が学ぶということ:認知学習論からの視点』北樹出版。

  2. Senge, Peter M. (1990), The Fifth Discipline: The Art and Practice of the Learning Organization, Doubleday Business. (守部信之/飯岡美紀/石岡公夫/内田恭子/河江裕子/関根一彦/草野哲也/山岡万里子訳 (1995) 『最強組織の法則:新時代のチームワークとは何か』徳間書店)

  3. 寺本義也/土谷茂久/秋沢光/中西晶/竹田昌弘 (1993)『学習する組織 近未来型組織戦略』同文舘。

  4. 安藤史江 (2001)『組織学習と組織内地図』白桃書房。

  5. 白石弘幸 (2009)「組織学習と学習する組織」『金沢大学経済論集』29(2)、pp.233-261。

  6. 西田豊明/角康之/松村真宏 (2009)『社会知デザイン』オーム社。

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