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「死」をテーマに小説を書いてみたい。

2010-03-07 23:57:56

そのうち、「死」をテーマに小説を書いてみたい、と考えている。
とはいっても、〇〇殺人事件、とかいう推理小説のたぐいではない。
人にとって、「死ぬ」とはいったいどういうことなのか、そして、どんな意味があるのか、そんなことを考える小説だ。
まあ、ふつう「死」というと、葬式とか、どうしても忌まわしいイメージがつきまとい、正直、自分も小説の中で登場人物を死なせるのはあまり気が進まない。(弱気)

しかし、以前、ちょっとしたことから「死」をテーマにした短編のアイデアを思いつき、それから頭の中でぼんやりとストーリーを考えている。
大体のストーリーとしては、家族と暮らし、何一つ不自由のない幸福な生活をしている主人公が、これまでの人生にもある程度満足したし、そろそろこの世を去りたいと考え、そして、家族を悲しませずに死ねる方法がないか、ひとりの男に相談しにいく……
ま、こんな設定だ。
誤解のないように言っておくが、主人公は、人間としての「美しい終わり方」を模索しているのであって、決して自殺を考えているのではない。
常識的に考えて、こんなことを考える人は、まずいないだろう。
自分だって、これから先はたかが知れているけど、まだまだこの世に未練はあるし、死ぬことだって、とても怖い。
また、世の中には、もっと生きたいはずなのに、病気や事故で死ななければいけない人がたくさんいる。(というか、死んでいく人のほとんどはそう思っているはずだ)
だから、そんな人たちからすれば、このストーリーはあまりにも「生」を冒涜していると感じるだろう。
そんなわけで、自分のアイデアはあまりにも不謹慎で、ストーリー的にもちょっと無理があるかな、と考えていた。
しかし、最近、読んだある本の中で、筆者が「うらやましい死にかた」として、「このへんでもういいんじゃないか、思ったときに、自然な方法で世を去ることができたら最高じゃないか」と言っていた。
へぇー、同じようなことを考えている人もいるんだな、と思った。

人は必ず、いつかは死ぬ。
そして、死によって生は終わる。
それでは、生とはいったい何なのだろう。
ものすごく醒めた見方をすれば、「人」という実体のない生き物が、この世にいる間、「身体」という「入れ物」を借りているだけじゃないか。
死とは、そのレンタル期間が終わるだけのことで、その後は「あの世」という世界に引っ越し、そこで生きていく。
だとすれば、この世を去る、とは、あの世で生きる、ことじゃないか。
それなら、死とはそんなに忌まわしく、悲しむものでもないんじゃないか。
そんなことを、ふと考えてみたりする。

日曜の夜、妻や子供たちと夕食のテーブルを囲む。
お互いに他愛のない冗談を言い合ってげらげらと笑う。
しかし、このメンバーも皆んな、いつかは死に、この世から消えてばらばらになっていく。
たぶん、それはトシの順だろうけど、そんなことを想像すると、少し寂しく、悲しい。
でも、「身体」という「入れ物」から出て行くだけで、それぞれの「人」が消えてしまうわけではないんじゃないか?
この世で生きる者と、あの世で生きる者が、お互いを忘れずにいられるのなら、それはけっこう、「ほのぼのとした関係」だとも、いえるのではないか。

「ノルウェイの森」では、不思議なほど多くの登場人物の多くが死んでいく。
そして、「海辺のカフカ」では、そこからさらに踏み込んだのか、死んだ人間が、あの世とこの世を往ったり来たりする。
もしかしたら、村上センセイも同じようなことを考えていたのかもしれない……。

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