あなたのことが必要なんです…

よくよく振り返ってみると、あれはもう25年も前のことになる。
途方もない田舎で暮らしていた私は、
転校して1年が経つというのに全く新天地になじめず、
太っていたことも功を奏して、クラスのいじめの的になり果てていた。

ある日、後ろから肩をポンポンと叩かれ、
振り返った瞬間に顎を思い切り打ち抜かれた。
人生で初めて膝から崩れ落ち、しばらく立ち上がることが出来なかった。
ボクシングの世界タイトルマッチ中継で、
挑戦者がチャンピオンに顎を撃ち抜かれて崩れ落ち、
立ち上がれないままTKOとなる場面を見かけたことがあったが、
顎を撃ち抜かれた挑戦者の気持ちが痛いほどによくわかる、
という経験をしたのは、後にも先にも、それ一度切りだ。

自分の居場所、心安らげる場所みたいなものは、
日常生活の中の何処にもなく、
学校が終わって家に帰っても、
別に悪いことをしたわけでもないのに疎外感や罪悪感を感じて、
何だか落ち着かない毎日が続いていた。
そのせいもあってか、
あの頃、暮らしていたアパートでの記憶はほとんどない。

ただアパートの目の前には、広い広い田んぼが一面に広がっていて、
夏の夜になると、
今まで聞いたこともないようなカエルの大合唱がこだまし続けていた。
鳴りやまない不吉な鳴き声が気になって眠れず、
たまりかねて部屋の電気を点けると、
窓に、自分の掌を思い切り広げたくらい大きなバッタが張り付いていた。
窓ガラス越しとは言え、未知なるサイズのバッタに遭遇した私は、
すぐに部屋の電気を消し、
そのバッタが窓を割って部屋に入り込んでこないことを、
ただただ祈りながら、いつの間にか眠りについていた。
朝、目が覚めると、不思議とカエルの大合唱は鳴りやんでいた。

そんな夏のある日のこと。
7月から8月の暑い最中にだけ結成される水泳クラブに参加しないかと、
その年に赴任してきたばかりの校長に、いきなり声をかけられた。
幼稚園時代に通っていたイトマンスイミングスクールの遺産だけで、
何とかクラスの中でも速いポジションを維持していた私だったが、
水泳の授業のたびごとに、
お前は贅肉で浮いているから速いだけで痩せていたら俺より遅い、
見ているだけで気持ち悪いから水泳の授業に参加しないでほしい、
といった罵詈雑言を男子からも女子からも浴びせられ続けており、
水泳というスポーツに対して、ほとほと嫌気がさしていた。
そんな最中での、校長から青天の霹靂めいたオファーである。
当然ながら、丁重にお断りし続ける日々が続いたが、
この校長が、どうしてか中々引き下がらない。
しまいには、親にまで話が行ってしまい、
母親からも、それなりに速く泳げるんだからやってみたらどうか、
と言われ始めた。
計画的に外堀りを埋められ徐々に追い込まれていくと、
人間は返って意地でもやりたくなくなるもので、
もう絶対にやらない、意地でもやらない、死んでもやらない、
というくらいに固く固く心を閉ざし続けようと決意したわけなのだが、
そんな折、校長から、
「じゃあ、8月の最後の大会に出るまでクラブを続けたら、ラーメンをごちそうしてあげよう。入賞とか表彰とかは条件にしない。お前が水泳クラブに入って、最後の大会に出るまで頑張って続けられたら、それだけでいい。どうだ。」という提案を受けた。
ラーメンの誘惑に動揺しつつも、思わず私は校長に問うていた。
「先生、どうして、そんなに俺のことを水泳クラブに誘うんですか?」
ずっとずっと聞きたかったことだった。
どうして、そんなに俺にこだわるのか。
校長は、特に躊躇いもせず、いつもながらのニコニコ顔で、こう答えた。
「あなたのことが必要なんです。ただ、それだけです。」

固く固く閉ざした心は、いつの間にか解けていた。
家に帰った私は、母親に、
「〇〇ってラーメン屋、美味いの?」と聞いていた。
母親は、待っていましたと言わんばかりの笑みを浮かべ、
「うちの地元で一番美味しいって評判の、
 並ばないと食べられない有名なラーメン屋さんだよ。」と答えた。
気が付くと私は、放課後、水泳バッグを持って、
水が濁り始めた8月の校内プールに足を運んでいた。

結局、それから1か月間ほど、水泳クラブを続け、
町の小さな大会ではあったが、校長との約束通り最後まで大会にも参加し、
最後は400mメドレーリレーで入賞したりもした。
もちろん、私の力ではない。
クラスメイトに速い男子と女子が一人ずついて、
ほとんどそいつらの残した功績だ。
荒唐無稽な話かもしれないが、
その男子と女子が二人ずついたら、優勝していたかもしれない。

大会終了後、水泳クラブはあっけなく解散となり、
程なく校長からラーメン屋に行く日程が知らされた。
夏休み最後の日だったように思う。
家の前まで車で迎えに来てくれて、
車で30分ほど行ったラーメン屋に赴き、
予約してくれていたのか、並ぶことなくラーメン屋に入ることが出来て、
(何年か後に知ったのだが、そのラーメン屋は予約を受け付けていない)
頼んでもいないのに大盛りのラーメンが出てきた。
腹いっぱいラーメンを食べながら、
筆舌に尽くしがたい何とも言えないやり切った感覚と、
心の内側からジワーっと満たされていく暖かい感覚を、
産まれて初めて同時に感じた気がする。
虐げられ続ける毎日の中で徐々に生きる気力を失っていた自分が、
俺って生きていてもいいんだと、心の底から改めて思えたことに、
感動して、身震いしていた。

それから家に帰るまでの間、校長と何を話したのかは全く覚えていない。
自宅まで車で送り届けてくれると、別れ際、
後部座席から大量のお菓子が入った袋を取り出し、
私にその袋を渡しながら、いつものニコニコ顔でこう言った。
「クラブに参加してくれてありがとう。その調子で頑張って。
 あと、ご飯もお菓子も食べ過ぎないように。」

後から知った話だが、地元では有名な校長だったらしい。
私が学校で酷いいじめに合っていることも知っていたのだろう。
どうするべきか、校長なりに色々と考えてくれた結果なのかもしれない。

いじめに関する話題は、いついかなる時も事欠かない。
誰かが自殺するような事態に発展すれば、
マスコミが騒ぎ立て、ネット民が共振し、
犯人が特定され、公開処刑めいた展開になることもある。
正直なことを言えば、いじめられた経験がある自分にとって、
そうした展開を見ていると、胸がスッとすることの方が多い。
誤解を恐れずに言えば、
人を自殺に追い込むやつなんて死んで当たり前だって思うこともある。
ただ一方で、どうしてそこまで事態が悪化してしまったのか、
という風に思う自分もいる。
誰かが、どこかで、何となく気付いて、
最悪の事態になる前に、被害者に救いの手を差し伸べるなり、
加害者に歯止めのブレーキをかけるなりできたんじゃないかって、
そんな風に思うことがある。

あの夏、苦しみながらも水泳クラブをやり切り、
校長からラーメンをおごってもらった経験が無かったら、
夏休み後に、またエスカレートし始めたいじめに耐えかねて、
私は校舎4階のベランダから身を投げていたかもしれない。
校長が、教師としてどういう経験を経てきたのか、
残念ながら詳しく聞くことは出来なかったが、
多分放っておけば誰かの命がなくなりかねないことを、
何となく察していたんじゃないのかと思う。
あの時、私にこだわって、簡単に引き下がらなかったのは、
きっと私に言いようのない危うさを感じたからなのかなと思う。

いじめられている人間に、いじめられているかどうかを問うこともなく、
いじめている人間に、いじめているかどうかを問うこともなく、
ただ、苦しんでいる人間に、あなたが必要であることを訴えかけ、
生きる自信をつけさせるということ。
生きていてもいいんだという実感を味合わせること。
あの校長は、いとも簡単にやってのけてみせたが、
きっと簡単なことではないのだと思う。

簡単ではないのだと思うが、
いま世の中に蔓延している、
いじめがあるかどうかを直接問うアンケートを学校中で展開してみたり、
いじめがあると報告を受けたら警察のように生徒の間をかぎまわったり、
ただただ被害者も加害者も追い込んでいくだけの、
場当たり的な対応を取り続ける学校社会に携わる方に、
かつて私が救われた、このエピソードが届いて、
あの世に足を踏み入れかけている誰かの命が救われれば、
それで良いと思う。
そうなってほしいと、切に願っている。

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