【奴隷か】愛人か
🐈⬛唐突ですが…主様の柔らかい声が大好きです。そして、人生のあれこれを知り得たのは、小説や漫画からでした。性的な目覚めも含めて。界隈で流行っていた、好きな漫画を列挙しながら、それらの作品に出会えた事で 確実に読後の私の世界を形創ってくれていたんだなと、改めて実感。主様が好きな10作品も 教えて貰えて 満足ෆ。
冬休みも明け、やっと日常を取り戻したある日、界隈では「#好きな漫画10個あげると人柄がバレる」とタグがついたモノがTLを埋め尽くしていた。幅広い漫画という括りだけで、10個のみを選ぶのは至難の業すぎる!と思っていたが、とりあえず私もやってみた。流石に人柄までは読めないだろうが、その人の趣味・嗜好の偏りなどから、こんな人かな?と、何となく想像できる程度だ。これを考えている時は浮かばなかったけど、他の方が挙げていた作品を見て「あ!!そうだった!これも大好きだった!」と、何度も独りで呟いてしまった。
主様とも、この話題について話をしながら、主様の10選を教えて貰ったのだけど、最後の10選目に「エロ漫画全般!」と力強く書かれていたので、こんな所が素直で飾らない主様らしいなと、また、微笑ましくも愛おしくも感じてしまった。確かに桂正和先生の漫画は、当時衝撃的なエロさだったよね。タッチも繊細で綺麗で、女の子が皆ムチムチのパンパンで、可愛かった。
因みに私の10選はこちら。
ෆぼくの地球を守って
ෆハイキュー
ෆAKIRA
ෆ風の谷のナウシカ
ෆドロヘドロ
ෆBANANAFISH
ෆ魁!!男塾
ෆHUNTER × HUNTER
ෆちはやふる
ෆ鉄コン筋クリート
🐈⬛きっと悪気なんてない。糾弾したくて呟いているのでもない。否定したい訳ではない。だけど、その言葉の使い方で 文脈の端々に小さな綻びが目立ち、 本人の意図とは全く異なる 捉え方をしてしまう。スっと胸の内に収まりきれないその言葉たちは、ずっと宙に浮き続け 自分の違和感になる。
たまに界隈で見かけるTLに、違和感しかない呟きがある。これは、あくまでも私の個人的な解釈の中での相違。だから、誰かに話したとしても共感はされないかもしれない。そして、別の解釈に捉えられてしまうかもしれない。ただ、私はそのポストを見てそう思ってしまったし、違和感しか感じなかった。言葉の捉え方も、その日の気分や性格、タイミング等、様々なモノに影響される事は理解している。
もしも、明日、このポストを見かけていたら、別の解釈で捉え、違和感も感じてはいなかったかもしれない。それが、このSNSという広いような狭いような世界では多々ある。だから、それが正解!という事は決してないのだけれど、自分には、違和感としか映らなかった、というだけ。好き嫌いだって当然にある。それを否定する訳ではなく、単に「好きか嫌いか」というだけだけど、その「嫌い」を伝えようとすると「否定」していると言われたり、難しい世界ではあるのを実感はしている。
だけど「私はこういうのは嫌いです」と伝えなければ、分かっては貰えない。全てを理解して欲しい訳じゃないけど、ほんの少し嗜好の方向性を分かっていて貰えると、その後のコミュニケーションが取り易く、話の繋がりも広がっていくのではないかと思う。結局、私的にはこんな時の選択時に「どっちでもいい」という答えが一番許せないのかもしれない。確かに「どうでもいい」と思う事も多々あるし「どっちも同じくらい、好きでも嫌いでもない」「関心はない」…と言うなら、納得できるのかもしれない。
「みんな違ってみんな良い」は、本当にその言葉の通りだとは思うけれど、自分自身の意見(嗜好・思考)として求められた時は、はっきりと選んでもいいのではないかと思う。それが、その人の持つ考え方なのだから。でも、そう求められた時の答えが「正解はない」とか「みんな違ってみんな良い」を出されてしまうと、この人自分の意思がないのかしら?もう、面倒臭くて話す気もないのかな?などと不信感は生まれる事がある(少なくとも私はそう受け止める)という事を忘れないで欲しい。良いとか悪いの話ではなく、その人自身がどう感じているかを知りたいだけなのだから。それが対話だと思っているので、できれば会話は重ねたい。
🐈⬛主様と「下僕と奴隷」についてお話した。二者の違いと私が思う個人的なイメージで。 私自身には、奴隷要素は皆無であり下僕に近いけど 「俺は既にお前を下僕だとは 思っていない。愛人だな」 …"愛人"というワードに 色々思う事はあるが「愛ある人 愛する人 愛される人」と、都合よく変換できる 私の素晴らしい脳味噌。
実際には「下僕」とは主に男性に対して使われる言葉であり「奴隷」とは、人権など持たない家畜以下の扱いを受ける…などとある。解釈の仕方はこれまた、様々なのかもしれないが、私は「奴隷」として扱われる事に違和感があるし、被虐欲は皆無なので痛みや罵り、惨めさやそういった身体的な屈辱に耐えようという気力はない。ただ、羞恥や辱めという事には興奮する癖はある。人形ではなく、意志ある一人の人間として掴まれ、屈服させられ、服従を誓い、その主だけに跪き預ける。尊敬と信頼、残りは「愛情」。
そのイメージで解釈していると、界隈の「奴隷」を名乗っている方々の中には、ご主人様の悪口や愚痴を垂れ流す人も多々見かける。ご主人様には、何されても良い、玩具のように好きなように使われたいなどと言う割には、文句ばかり。最早、主とは呼べないし、奴隷だとも言えないのでは?などと思う。確かに、経験途中な事もあると思う。手探りで今、奴隷の作法を躾けて貰えていて、未経験な上の疑問とかならまだ理解は出来る…だけど、お互いが考える関係性の方向性が全く逆なのに、ただ好きだから、離れたくないから、という理由で自分を無駄に追い詰めすぎ、犠牲にして耐え、捨てられた後になって酷いご主人様だったと吐き出す輩はもう、そもそもの性質が違うのではないだろうか?
「愛人」についても主様とやり取りしながら、私は色々とさせて貰える事に喜びを見出してしまう性質なので… 今後も貴方に囚われ続ける限り、私を自由に都合良く扱う事が出来る。だからずっと想わせていて欲しい。まぁ、既に離れられやしないんだけど。私は、自分の感情が全てで初めて動く事が出来るから、意思の無い人形にはなれない。自分が「大好き」だという感情を抱いた人には、あれしたい、こうしたい、こうすると気持ちいいかな?楽しいかな?喜ぶかな?と、相手の感情が優先されて気になってくるタイプ。
同時に、こうして?ああして?あれやってみたい!と言われれば従ってしまうし、興味が湧いてしまう。でもそれは「大好き」に至るまでに、尊敬があったり、信頼が積み重なったり、言動できちんと示してくれて、本当に心から寄り添っていたいと想わせて貰えなければ何一つ成立しない。それが実感できれば、常に主様だけを見て傅く…(大切に育むの意)。
🐈⬛あーだこーだと関係性を語るけど、結局は主様と二人。貴方だけの私で在ればいい。誰かや何かと比較する事無く、基軸は貴方のみ。それに添えるかどうか、合うか合わないか…その傍らにいたいか否か、それが全て。
こんな話をして主様が「じゃ、つまり…俺はどうしたらいいの?」と聞くので「貴方はそのまま、自分の好きにしていてください。私が勝手に着いて行きます」と返事をした。ふふ、と笑って「ありがとう」と返ってくる。そう、貴方は私の前を数歩先に歩くだけでいい。時々、振り返って少しだけ面倒くさそうに「早くおいで」とそっと手を伸ばしてくれるだけでいい。
私は、奴隷にはなれないけれど、私の全てで貴方を「愛する人」で在りたい。病める時も、健やかなるときも…うん、如何なる時にも、貴方だけに浸透していたいと思うし、核は「貴方を愛する私」で居たい。これから先も、貴方を研究する人…みたいに没頭していたいから。
🐈⬛be continued🐈⬛
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