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毒が毒である限り、家族になることはできない。

私にだって八つ当たりしたいときがある。

誰かに感情のまま泣いたり、喚いたりしたい。

でも、それをできる相手もいないし
それをして相手との関係が良好になるかで考えたら、そうはならない。

それに、できたとしても、ずっとじゃない。
相手がしんどくなるし、そういう気持ちにさせたいわけじゃないし、うまく言えないけど、なんか違う。




今思うと、

親や家族が変わるかもとか、
いつか私をちゃんと見てくれるかもとか、
多少なりとも期待した、当時の自分に腹が立つ。

叶える気もない約束で
何十年も縛り付け、

真面目で一生懸命であればあるほど、
"毒親の餌食"になる。


そう考えれば、
もっと早く"真面目"を辞めるべきだった。

実際に真面目で一生懸命で、優しくていい子と呼ばれる振る舞いを辞めてから
家族との関係は終わったけど、
自分の心には正直に生きてる気がする。前よりも確実に。



過去の自分に何か伝えられるなら、
"家族を疑え"

信じちゃダメとか、優しくする必要なんてないとか
こういう伝え方は、あの頃の私には酷なことかもしれない。

だから疑え。
信じてもいい。それでも疑え、安心するな。

優しいときも、愛されてると感じるときも、その時間は続かない。
"それ"が珍しいから、親の優しさを思い出して余計辛くなる。



毒親や毒家族が
どんなに可哀想で、どんなに困っていても
どんなに優しいときがあって、どんなに心配してくれるときがあっても、

毒が毒である限り、
家族になることはできない。

条件付きの愛情に縛られてはいけない。

絶対に、絶対に、
心を許してはいけない。



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