見出し画像

5.オタク人生なくして今はない。~ジャニーズから始まる音楽の道~

 私を構成する要素は恐らく1つ。それはオタク・オタ活。もはやこれなくして私の今は存在しないし、生きていないかもしれない。それほどまでにオタクとして推したちに人生とお金を捧げてきた。

ジャニーズは私の青春で、今も心に残る圧倒的神感

 私は2011年頃から約7~8年間ほどジャニオタだった。これがオタク人生の始まりである。2011年、私が小学3年か4年ころには未だ『推し』という言葉はなかった。グループが好きであれば『担当』という言葉で、嵐で言えば例えば、『二宮担』という言い方がされていた。(本当に懐かしい泣)

 私が好きだったのは、関ジャニ∞である。小学生だった私は関ジャニ∞が出演する番組は録画をして、テレビに張り付いてみていた。また、音楽番組に出演すれば、演奏・パフォーマンスしているシーン、MCに話を振られ話している場面、を録画の中からくり抜き、保存をしてDVDにダビングしていた。生活は関ジャニ∞を中心に回っていたのである。

 中学生になるとファンクラブに入会をした。お小遣いを貯め、ファンクラブに入り、コンサートに行くようになった。当時は2日間入るときもあり、好きだった錦戸くんのメンバーカラーである黄色の服を着ていくことに躍起していた。
 ありがたいことに家族からの推し活支援もあり、グッズを買い、コンサートに行き、発売されるCD、DVDも購入をしていた。今思えば、どこからそんなに金があったのかと不思議に思うが、小学生・中学生では他にお金を使う場面もあまりなく、財産全てを捧げていたと言っても過言ではない。(お小遣い、お年玉の他に家族の支援も多いにあった。感謝)
 また、誕生日・クリスマスなどうまい具合にプレゼントを調整していた。我ながら家族との交渉がうますぎる。

 7人の関ジャニ∞は永遠にように思えたし、まさに最強で最高の関ジャニ∞だった。手に届かない、そんな存在から私の人生の中の神様のようにさえ感じていた。辛いことがあったとしても、この先にツアーがある、イベントがある、と思えばなんだって頑張ることもできた。それほどまでに私の中で関ジャニ∞という存在は大きなものであった。

 しかし、メンバーの脱退と私の揺れ動く高校生活と受験シーズンの到来によって、関ジャニ∞の情報に追いつくことが出来なくなり、自動的に距離を置く形になり、そこから戻ることが難しくなってしまった。関ジャニ∞から離れることはないと思っていたが、まさかのジャニオタから降りることに……。
 少し距離を置くようになってから、2年くらいの月日をかけてファンクラブのほうも抜けた。いくら離れてきたからといってすぐに退会することはできなかった。好きだし嫌いではない、方向性の違いというものだろうか。一ファンが大層にいうことではないが、そんなところだ。小・中・高と青春の全てを捧げた関ジャニ∞、幸せをくれた関ジャニ∞、ありがとう。

 追記すると、今でも応援はしている。テレビに出れば見たりして、現関ジャニ∞5名、錦戸くん、渋谷くん、私が追っていた7人全員を今も応援し、活躍している姿を見たいと思っている。そして、私が好きになる前に所属していた内くんも同じように応援している。関ジャニ∞が好きだったという事実は変わりないし、たまに音楽を聴くと当時に気持ちに戻り、「懐かしい」「関ジャニ∞を好きでよかった」と思う。(その気持ちからグッズもなかなか手放せない。私の宝物たちだ)

私に音楽観を作ったバンドたち

 ジャニーズに次いで、バンドも好きだった。しかしバンドが『推し』ではない。好きなバンド、好きな音楽であり、少しニュアンスが違う。(伝われ)

 ジャニーズを追っている真っただ中、中学生の頃に[Alexandros]に出会ったのがきっかけだ。関ジャニ∞はバンド形態での演奏もしているため、バンドには興味があった。そんな中、音楽番組を見て出会ってしまったのが、[Alexandros]である。「なんだこのカッコいい人たちは!?」「変わった、名前。あ、あれき、さんどろす…?」という初見。とにかく名前が印象的過ぎて、後日思い出してゲオでCDをレンタルしまくった。

 そこからは本当に早かった。ライブに行き、フェスに行き、ひたすら音楽を浴びる生活をしていた。高校1年の時には、2か月に1回か、それ以上行っていたような気がする。(ジャニーズも並行して好きだったので、金の出どころが本当にわからない)

 [Alexandros]だけに限らず、他にクリープハイプ、KEYTALK、オーラル、夜の本気ダンス、フレデリック、キュウソネコカミ…バンドの他には高橋優くん、好きな音楽であふれていた。
 今でこそ大人気のバンドと化したSaucy Dogが出演する無料音楽イベントに行った経験は、少し自慢である。

 そして、今現在もバンドを中心に音楽は好きだ。レコードを聴いたり、ドライブで音楽を流したり、音楽は生活の一部になっている。高校生の頃ほどライブやフェスには行かなくなったが(コロナもあり)、現在もたまに行っている。
 さまざまな音楽に助けられ、歌詞に鼓舞され、泣き、人生を歩んできた。音楽は偉大な力を持っていると思ったのもバンドが好きになってからである。時に寄り添いながら、前を歩いてくれる。私にとって音楽はそのような存在である。

 最後に、最も私を支えてきたであろう楽曲を紹介して今回は終えよう。


【追記】現在揺れ動く、SMILE-UP社(旧ジャニーズ事務所)に対して

 今回、好きなものたちに関して記事を書くにあたってジャニーズは切っても切り離すことのできない存在だった。それは記事にもしたように私の青春を過ごしたものであり、私の人生をも支えていた。そしてその繋がりから好きになったものも沢山ある。
 一ファンが何を言おうと戯言になってしまうが、ここで現在の状況について、この気持ちを少し書き残しておきたい。

 私がファンであった当時からジャニーズ事務所による性加害問題に関しては耳にしたことがある。しかし当時は「へぇ~」としか思わず、見て見ぬふり、聞いてないふり、都合の悪いことは気にしないとしていた。(そんなことが実際に起こっていないと信じたい気持ちもあったのかもしれない)
 恐らく、ジャニオタ全員が一度は耳にしたことがあると私は思っている。しかし、それが話題になることはなかった。それは、マスコミ同様、オタク自身も「本当なのか?そんなこと起きているの?ジャニーズ事務所っておかしいのでは?」と事務所に対する疑いを持たず、声に出さなかったからであろう。

 ジャニー氏による性加害問題は許されることではない。権力をもった大人が私利私欲のために夢を持った少年たちが傷つけられることは許されない。ジャニーズが好きだった私も決して許さない。そしてこのような現状にした全ての原因はジャニー氏であり、好きだった事務所が現在非難を受け、解体に向かっていることに対しても腹立たしい。

 ジャニーズという名前がなくなるのは寂しさを感じる。もちろん被害者の方の救済のため、タレントたちの活動のため、ジャニーズという名前がなくなることに関して異論はない。しかし、寂しさはある。それは好きだったからだ。私が好きだった関ジャニ∞も改名する。私が好きだった関ジャニ∞は本当に過去になってしまうのか、と少し考えてしまう。

 SMILE-UP社には、事件に対する補償と救済をしっかり行っていただきたい。そして、新会社にてタレントの活動も支援してもらいたい。ジャニーズという帝国は終わってしまうが、今後のタレント・グループの活動に関しては、本当に応援をしている。
 包み隠さず問題に向き合い、再びタレントたちの明るいニュースを聞くのを、陰ながら楽しみに待っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?