ガストロノミーとしての「タイ料理」
正直なところ、詳細に思い出せなくなってきている体験も多いけれど、それでもあの純粋に体験を心から愉しみ心躍った気持ちを忘れることができず、思い出せる限り綴ってみたいと思います。
ガストロノミーとしての「タイ料理」を体験したことは改めて、たった一皿、一夜のコースであったとしてもその経験を通して料理というものに向き合い、多角的な方面から想いを巡らせることの楽しさを改めて思いださせてくれるひとつの契機だったと。また、目の前の一瞬一瞬の体験に瑞々しい感性が呼び戻されるような感覚は、今でも鮮明に思い出すことができると。
ガストロノミー?
そもそも「ガストロノミー」とは何なのか、なぜここまでガストロノミーという言葉を繰り返し使うのか、それはその定義にある。
すなわち「食べる」という身体性を伴う行為、贅沢で美味しいものだけを食べ続けるということとに留まらない、食や食文化を体系的に理解する知的活動であること。より噛み砕くと、「食」を中心とした体験を味わい尽くすということとほぼ同意義だと思っています。目の前に出されたお皿から「美味しい」「不味い」を判断することだけに終始せず、また味の違いや比較に留まることなく、味の構成要素は?調理技術は?食材の生産地は?生産者は?お料理が成り立った文化的背景は?お料理に使用されたお皿は?シェフの創作の意図は?作家性は?と言ったような関連する全ての事柄に探究心を持ち、思いを馳せ、考え続けること。こういった試みが「食べる」という行為をより一層楽しく、特別な経験にしてくれる。
わたし自身、あの一夜のコラボイベント体験から「タイ料理」ってそもそもどういうものなのか?「タイ料理」味の構成要素のバランスってどんなものなの?タイ社会におけるムスリム食文化の需要ってどうなっているの?シェフのイサーン地方食材の捉え方は?ローカル食材のサプライチェーンってどうなっているの?など様々な興味が沸き上がり、シェフたちを質問攻めをし、必ず現地訪問をして答え合わせをしようと固く決意し、実際にバンコクを訪れました。このような一連の思考の流れはガストロノミーの醍醐味のひとつ(だと思います。)
バンコクでの答え合わせ
コラボイベントで知り合った80/20を訪ねてバンコクに。確か空港から直接向かったような思い出がある。その当時はアラカルトで提供をしていてメニューの最初から最後まで注文した。前菜からメイン、デザートまで「タイ料理」らしさを感じさせる、ただそれでいてフレンチの技術がベースにありシンプルに美味しい。ハーブやスパイスも強すぎず、適度なアクセントで主張しすぎることない。発酵なども自家製で色々と試行錯誤しているけど、発酵が主体ではない。素材は漁師から直送される魚介類、近隣のムスリム食料品店から買うハラルのお肉など。一皿一皿を細かく覚えているわけではないけれど、「タイ料理」に敬意を払いながら異なる表現方法で新たな「タイ料理」を生み出していく、そのお皿の使い方や盛り付けなども西洋的でありながらもタイに伝統的要素をしっかり担保していることに、「ああこういう表現の仕方があるんだな」と深く感心したのを覚えている。
実際バンコクで提供されるお料理をバンコクで頂くことで、疑問の答え合わせができたり、新たな疑問が生まれたり。そしてこの滞在で様々なレストランを訪れ、また違った角度から「タイ料理」を体験することになるのですが、それはまた次回。
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