見出し画像

猫を飼う(覚書)

 猫を飼いたいと思う時期がやってきている。普段はやってきていない。ただこの瞬間、夏の暑さと扇風機の涼しさの合間にて、猫を飼いたいという激烈な欲望が立脚したのである。元来私は犬派であるため、猫に心を惹かれることはない。街を歩く私は徹底的に猫を避け、猫もまた私を避けて暮らしている。要は他人である。猫の生と私の生は交わることはなく、これからも交わらないはずだった。しかし今現在において、私は猫を激烈に欲している。そして同じようにして、猫もまた激烈に私を欲しているだろう。私たちはお互いに惹かれあっているのである。そしてもしそうであるならば(いや確信を持って「そうだ」と言えるのだが)、私は今すぐにでもこの熱く蒸された部屋を抜け出し、ペットショップやら保健所やらに足を運び、任意の気に入った猫を一匹、我が家に迎え入れるべきなのである。
 私はベッドからむくりと起き上がり、そこに腰かけた。私は今ボクサー型の薄い下着にTシャツというあられもない恰好をしている。私は手始めに、無防備にも露わになったこの肉感的な太ももを隠すべくズボンを履いた。ベッドを抜け出して顔を洗い、髭を剃り、髪を整えた。少なくとも今の私は男性として最低限の身だしなみを弁えているはずだ。少なくとも服を着て髭を剃り髪を整えている。太ももから脛にかけて青々と繁茂する艶のある毛だけが少しの気がかりである。あるいは不愉快な印象を受ける人すらあるだろう。しかし今の私に後ろ指を指すものがいれば受けて立とう。このホソッこい腕でタコ殴りにしてやろうというものだ。私には並々ならぬ決意がある。猫を飼うのだ。そして決意あるものに敗北はない。私は負けないだろう。図々しくも歯向かってきたそいつの服をはぎ取り、白魚のように薄弱な太ももを露わにしたうえで、さいたま市大宮区に聳える古びた時計台から逆さに吊るしてやろう。私の太ももは、おまえはもちろんイギー・ポップにさえ引けを取らないのだ。おまえに私の太ももを笑われる筋合いはどこにもないのだ。いやそいつはどうだろう。いったん批評的にならざるをえまい。客観的に見て私の太ももは、あらゆる批判をも受け付けない、無欠の正当性を湛えているか? 太いといえば太いし、細いと言えば細いようでもある。右腿より幾分左ももの方が太い。毛はまばらに生え、決していい毛並みとも言い難い。しかしこれだけは主張しておきたいのだが、私の太ももの毛は何物にも代えがたい黒、何物にも染まらぬ純然たる黒を湛え、そこには厳かさすら認められた。私の太ももは決して大して太いわけでもいわゆるスリムというのでもない。毛だって人並みかそれ以下のいたって凡百なものである。しかし私の毛は誰にも引けを取らない黒さを湛えている。太陽の光を受けて、これまでかとばかりに黒光りしている毛を見れば、世の女という女、男という男はざわめきだすだろう。「あれはふとももの毛ですか?」「ええ。まさしくこれは私の太ももの毛に違いありません。」私はその一点において他の追随を全く許さず、追いつこうとするものがあればこの太ももで蹴り落してくれようと覚悟した。夏の暑さのなかで私は一人鼻息を荒くしていた。しかし人人は個人的な生活を全うし、私もその例に漏れずどこまでいっても一人きりで、誰も私の太ももに文句を垂れようとはしなかった。そして私と猫はどこまでも隔たっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?