漢字妄想②「史」シ
またまた、白川静先生の説の紹介。「史」のお話。
に勝手な妄想を加えたのではあるが。
「史」という漢字を分解すると「中」と「又」になるそうだ。
「中」は古代の祭りの祈りの言葉を入れた「口」(実はサイと読む)に、木の枝にくくりつけたので「中」となったとか。真ん中の棒は木の枝だ。
「又」は手の形から。祈りの言葉の入れ物を木の枝につけて、大切に持った。よほどしっかり持ったのか、一つの漢字になってしまった。くくりつけたと言うより、ぶっ刺したのかしらん。
持ち歩いたのは、祭りに参加する人、参加するというより、つかさどる人かもしれないと考えると、巫女か? 神への祈りを捧げる祭りは、どう見ても組織的に行われたのだと思う。巫女は一人ではなかったかもしれない。
この「取っ手付き入れ物」が手から手へと渡されたとしたら、丈夫でなければならないだろう。私の勝手なイメージとしては、単に持って歩いたというより、持って踊っているのだが…。相当振り回すよね。
木の枝ってどんなだろう。最初は何の加工もなかったか。でも古代とはいえ人間のやることは現代にも通じる。すべすべにしたかったとか、色をつけたかったとかありそうである。
高尚さゼロの私としては、恐竜が茶色一色だったのが、研究が進むにつれ、彩色されてきたのと同じように、祈りを書いた入れ物と、その持ち手が、地味であるはずはないと思う。前にも書いたが、神様はハデ好きだろうし。
少なくとも、巫女や、祭りを取り仕切る高官の好みによっていろいろと違いがあったんじゃないかと思う。
長い祈りの言葉を書いたものだが、紙ではないと思う。紙はずいぶん時代が下ってからで、紙が登場した頃には、すでに漢字はあったはず。となると書かれたのは木簡か? 中国ドラマなので見る、細い短冊状の木簡をひもでつないで丸めて保管なんてものは、ずっと後世の話だろう…それでも重くてでかいよね、大変だ。
でも漢字になるくらいだから、何かしらの規則性もあったんだと思う。
もしくは、誰か一人の見事な手わざが当時の祭りで広く使われるようになり、ついに今日に残ったとか、そんなことかもしれない。
漢字について、ちょこっと教わっただけの私、もっときちんと調べて深く考えられるようになりたいが、こんな妄想しか考えないのだから、いつのことやら。
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