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敗者だから伝えたい こうして会社は倒産しました ⑧

~ストレスが身を滅ぼす~

 前回までのあらすじ。資金繰りが改善しない会社に対して、着々とトラブルが起こり続けますが、それを知らない私との意識の乖離は続いたままです。

Y社長の入院

 トラブルが続く中で、Y社長は突然入院することとなりました。今回は「Y社長」ではなく、これより「父」と呼ばせて頂きます。病名は胃がんです。放置すると1年持たないが、胃の全摘で転移が無ければ完治する可能性もあるとのことでした。ただし、糖尿病・肝硬変・前立腺肥大症も抱えており、手術に耐えられない可能性も指摘されました。

 毎年人間ドックに行っているはずなのに、なぜこんな状態になるのかが理解できませんでした。病状も告知も父が自分で直接受けて、病院の手配やセカンドオピニオンまで全部自分でやっていました。

 仕事の仲違いがあっても親子ですから、完治することを祈って、お守り買ったり、縁起物の置物を持って行ったり、治療薬の漢方薬を買ったりして、家族総出で入院する病室に日参します。

 ただし資金繰りの悪い会社から、突然社長が長期的に顔を出さなくなることは、社内にも取引業者にも不安を与える為、長期の出張になったということで、対外的には隠していました。

 手術は無事に終わり、執刀医の「成功した」との言葉で家族一同は安堵します。しかし術後の様態については、厳重に注意が必要とは言われていました。程なくしてICUから一般病棟に戻ってきました。

 話ができる程度には回復したものの、食事はできず水分も摂れません。医師からは、つばも飲んではいけないと言われていました。糖尿でのどが渇くため、きつい状態だったかもしれません。それでも「胃がないから、胃潰瘍にならなくなった」と自虐ネタを披露していました。

様態の急変

 その2,3日後です。様態が急変し激しい痛みでICUに戻されます。苦痛に耐えきれない様子で、私たちもなんとか痛みを和らげるように懇願して、麻酔を施し眠りにつきます。

 その後、そのまま二度と、父が目を覚ますことはありませんでした。

 眠り続けている間は、父の分まで仕事をしなければなりません。得意先との会合や業者会の役員会等にも出席しました。その時点でも資金繰りに気づいておらず、当然に復帰するものと思っていました。

 入院して1カ月経つ頃には、「社長はどこに行ったんですか?」と聞かれることも増えて、ごまかすことも段々と難しくなってきた時、病院から家族が全員呼びつけられ、家族全員が見守る中で父は亡くなりました。

父の社葬と決意の表明

 悲しむ間もなく粛々と葬儀に移り、得意先・仕入先・経済団体等に連絡を行い、葬儀を仕切ることになりました。遠方から駆けつけてこられる方も多数おり、全ての方に感謝してもし尽せないほどです。

 多くの方からの言葉を頂く中で、父が周りにこんなに愛されている存在だったことを知りました。親族よりも涙に暮れて、最初から最後まで一緒にいてくれるお客様もいました。

 不安を見せてはいけない、力強くしていないといけないと心に楔を打ち、礼節と感謝で葬儀が進みました。最後の挨拶で感謝を述べたあと、「これから私が後を継いで頑張ります」と表明しました。

最後まで涙を流さないと決めていましたが、出棺の時に葬儀が始まって初めて涙がでました。

父の机の上に

 葬儀も終わり、初七日も終わり、日常の仕事が待っています。父の自宅の机の整理をしようと入ると、机の上には、生命保険の証書が並べて置いてありました。入院する前に父が用意してあったものです。

 入院の前から、父は家に帰れるとは思っていなかったのでしょうか。それはもう聞くことはできません。確かなことは、これから父の代わりに私が全てやっていかなければならないことだけでした。

倒産社長が伝えたい経営の教訓


ストレスは、経営者を滅ぼす最大の敵

 毎年人間ドックに通って、胃がん(それもかなりの大きさでした)はありえません。極度のストレスによるものではなかったかと思います。その根幹は、恐らく資金繰りであり、どうあがいても解決できないものだったからではないでしょうか。

 私も最終的に倒産まで至るのですが、今生きているのは、一緒にいた仲間のおかげかもしれません。自分の子が後継者だっただから父は言えなかったのかもしれません。一緒に悩んでいれば、全く違う結果があったのかもしれません。

 ベストな対応は、存在しなかったかもしれません。


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