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ひとりの稽古、温もりと繋がり

現在、私は配信上演の舞台に向けて稽古中である。

写真は会場となるお宅で稽古の際、撮影したもの。


かれこれ稽古が始まって3週間ほど経った。

できるだけ人と会わない、という制約が世界中の人に課されている状況である。
もちろん演劇も例に漏れず、劇場に大勢の観客が集まる公演は行われていない。
その結果、オンライン演劇やリモート演劇、配信上演など今までになかった分野が活発になっている。

これについての是非などは、ここでは語らない。

私が話したいのは、それに伴う「孤独感」について。
そして、この公演に対する大事な「気づき」について。
これらはどちらも、「今、私がこの作品をやっているからこそ」得られたものだ。

この1年、できるだけ家の中で過ごしてきた。
友達とも会わず、旅行にも行かず、授業もオンラインで受けて、一度も教授と会わずに卒論を提出し、卒業した。オンライン演劇にも出演した。
それでも、私は家族と暮らしていたので、それほど孤独を感じなかった。

しかし今回の公演の稽古をし始めて、妙な倦怠感みたいなものが付き纏うようになった。それは、湯船に浸かっても、長めに睡眠しても、離れなかった。
まあ私は比較的重めな花粉症であり、体はきっとしんどかったのだろうけど。

家でも、会場となるお宅でも。ひとりでzoom越しの演出家と稽古をしている時に、全くもって俊敏な脳や体の動きが発揮できない。
これではいけない。もっとやるべきことはある。最後の公演だと思えと、ストイックサイドの己が責める。自己嫌悪に陥る。うまく演技を更新できない。
負のサイクルにはまっていた。

演劇を生業とする人からしたら、「そんなんだからそれまでなのだ」と言われてしまいそうだが、私のキャパシティは溢れそうだった。

もうやばい、稽古が苦しくなる。
そういう思考が浮かんだ頃、偶々もう一人の役者の髙橋と一緒の稽古になった。
感染対策はしっかりとした上で、二人で稽古をした。
全く苦しくなかった。めちゃくちゃ楽しかった。
脳がギュンギュン働いて、やりたいことがいっぱい浮かんだ。
体はついていかなかったが、「あとは鍛錬するのみ」という気持ちになれた。

この日の帰り道、運転している時にふと、妙な倦怠感の正体に気づいた。

「孤独」である。

私は、ひとりの稽古に「孤独」を感じていたみたいだった。
zoom上での稽古は経験していたのに、不思議だ。

何故こんなことに、と考えた。きっと今回の脚本によるものなのだと思う。
人と人が温もりを感じる距離で関わり合う話を、やっているから。
親しく愛しい人が当たり前に隣にいる、そういう"日常"を構築しようとしているから。
現実の私は、同居していない祖父母と食事できていないし、パソコンに映る大事な友人たちとも随分会えていない。確かに繋がっているのだけれど、温もりは感じられない。この乖離が、きっと孤独を生んでいる。

存在に気づいたけれど、それを拭おうと必死になったりしないでいる。


今、ひとりの稽古では、孤独を味わい尽くしてしまえと思っている。
そして、人と一緒にいられる時間には、その尊さを噛み締めている。

これらはどちらも、きっと演技の糧になる。この演劇の肝になる。
どちらも知ってる私がやる舞台は、きっと良いものになる。
ご覧になるお客様にも、きっと滲み伝わる何かになる。

そう信じつつ。



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