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vol.023 ドゥナン日記2

春休みに娘と訪れた日本最西端の島、与那国(ドゥナン)島でのできごと。

2日目の朝は、昨年撮影の仕事でお世話になった「ちまんま広場」へ乗馬体験をしに行ってきた。久しぶりに再会する西山夫妻と、初めて会う娘の礼ちゃんの醸し出す穏やかな雰囲気は牧場全体を優しい気で覆っていた。

動物好きな娘は、手綱を引いてくれた真梨子さんの丁寧なガイドにも助けられ、あっという間に与那国馬の虜になっていた。私が乗った馬のシャナは、1年前に撮影の仕事で出会った馬だった。西山さん夫妻との再会も嬉しかったが、シャナとの再会は、なんだか運命的とでも言ったら良いのか、不思議な喜びを感じた。

「たくさん話しかけてあげてください」「たくさん撫でてあげてください」とのアドバイスに沿って、「シャナいい子だね。シャナかわいいね」としっとりと滑らかな首筋を撫でながら何度も声をかけた。

牧場内で馬に慣れ、歩く練習をしたのち、湿地帯の向こう側に見える南牧場の崖を眺めながら農道を30分ほど歩き、牧場へと戻ってきた。西山さん家族にお礼とお別れを言い、後ろ髪引かれる思いで車へと乗り込んだ。隣に座る娘に向かって、「馬ってかわいいね、次は海の中を歩いてみたいね」などと少し興奮気味に話していた私の手には、シャナの温かな体の感触がうっすらと残っていた。

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午後は宿で少しゆっくりすることにした。

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今回私たちが宿泊した「SAKURA HOUSE」は、昔ながらの古民家を一軒まるごと借りられるというちょっと贅沢な宿で、まるで遠い親戚の家に家主が留守の間滞在させてもらっているような、そんな感覚にさせてくれる宿だ。

オーナーの稲川留美子さんは、与那国織の作家で、「スタッフオンリー」と書かれたガラス扉のお部屋には布をかぶった織り機が一台、静かに眠っているように置かれているのが見えた。以前島を訪れ、稲川さんにお会いした時には、縁側で布を張る作業をしていた。ピンッと張られた反物が木漏れ日の中でゆらゆらと揺れている様が美しかった。

その日の夕方には、以前からお世話になっている民具作家で、島の文化を熱心に勉強している與那覇有羽さん家族と連絡を取り合い、会うことになった。パートナーの桂子さんが、子供たちがお世話をしている与那国馬を見せに娘を連れ出してくれた。有羽さんと私が宿の縁側で雑談をしていると少し前から会う約束をしていた東盛あいかさんがやって来た。

あいかさんとは、SNSで繋がってはいたけれど直接会うのは初めてだった。与那国島出身のあいかさんは、京都の大学を卒業したばかりで、彼女が主演、監督した卒業制作映画「ばちらぬん」をネット配信で観ていたこともあり、色々と話を聞きたかった。

有羽さんもあいかさんも与那国島をベースに持つ表現者だ。 性格や年齢、育った家庭環境の違いから、それぞれの表現は全く違うけれど、彼らの無二の個性からは、共通して与那国島の存在を感じた。

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歌のこと、民具のこと、子供の頃の話、現在の活動についてなど途切れることなく話が溢れ出し、あっという間に時間がすぎていった。 

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有羽さんが即興で詠んであいかさんへ贈った琉歌

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その日の夜、「あともう一泊したかったな」と布団の中で呟く娘に、「今回出会った与那国島の人たち、どうだった?」と聞いてみた。「潤音ねぇちゃんが中学生なのに馬のお世話しててすごいなって思った。人参は手のひらにのせてあげるって教えてくれた」と與那覇家の娘さんのことを話してくれた。やはり年が近い人の存在は自分に重ねやすいのだろう。

帰りの飛行機の中、「楽しかったね」と娘に言うと、「うん。楽しかった。みんな、好きなこと仕事にしてたね」とぶっきらぼうに呟いた。プロペラ機は、ドゥドゥドゥドゥという音で機体を小刻みに揺らしながら真っ白な雲の中へと私たちを乗せて飛んでいった。

ちまんま広場


SAKURA HOUSE

東盛あいか
Twitter @aika_higamo
Instagram @toremoro514

よなは民具

【水野暁子 プロフィール】
写真家。竹富島暮らし。千葉県で生まれ、東京の郊外で育ち、13歳の時にアメリカへ家族で渡米。School of Visual Arts (N.Y.) を卒業後フリーランスの写真家として活動をスタート。1999年に祖父の出身地沖縄を訪問。亜熱帯の自然とそこに暮らす人々に魅せられてその年の冬、ニューヨークから竹富島に移住。現在子育てをしながら撮影活動中。八重山のローカル誌「月刊やいま」にて島の人々を撮影したポートレートシリーズ「南のひと」を連載中。


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