MHSWになる前のこと①

MHSWになるずっとずっとずーっと前のこと。

まずは自分の両親や祖父母のこと。

普通の平凡な家族に生まれ育ってきたと思っていた。
でも私がいろんな人生経験を経ていく中で相違を感じた。
いや、綿密にいうと相違に気づいていた。

父は亭主関白ではないけれど仕事が中心で家のことはほぼしない。
かといって毎日遅いわけではなく、早くに家に帰ることもあれば
付き合いで飲んで遅く帰ってくることもあった。
父は子どもに理不尽に怒るような人ではなかった。
母は専業主婦で、友人がいるタイプではなく
刺繍を近所の人を集め自宅で教えていた。
確かに母の刺繍の腕は個展をひらくほどだったので才能はあったのだと思う。
それ以外の日は、近くに母の実家があってほぼ毎日親子で通っていた。妹が生まれてからは妹も一緒に祖父母宅へ行っていた。
今思えば、毎日何してたんだろうと思う。
友人と遊びにいくようなタイプでもなかった母。
買い物なども常に祖母や母の姉妹と行ってた気がする。
なので私も必然的に母の兄弟姉妹の子ども(従兄弟)とよく遊んでいた。
近所の子どもと幼少期遊んだ記憶はない。

祖父は学校の校長先生、祖母は僧侶。
祖母が僧侶になったきっかけは、若かった祖父が戦争に行った時に
祖父の母(姑)からいじめられ、子連れで死のうと思ったとき
当時小さかった母に止められたことで死を選ばず。
それが僧侶になろうと思った原点だと祖母から聞かされていた。
祖母は裕福な家で育ち、お手伝いさんも何人もいるような家で
苦労をあまり知らずに育ったのかもしれない・・・とあとから思う。

母と母の実家は結びつきが強い家だった。母の兄弟姉妹もしょっちゅう行き来していた。
母と母の実家は徒歩5分以内にあり一番近かった。

夏には祖母の持つ別荘に行き、私たち家族は毎年のようにそこで過ごしていた。父もそこにはいて、あまり気を遣わない性格だったからか?別荘にいくことを拒むような人ではなかった。

祖父母の家から帰る時は、両手をついて「おじいちゃん、おばあちゃん、今日もありがとうございました。またよろしくおねがいします、さようなら。」と言って礼儀正しくするのが通例だった。

ちなみに祖父は学校の校長まで勤め、天皇陛下から勲章を授与するような人だった。しかし、古くて狭い長屋に最後まで住んでいた。借金があったわけではない。おそらく祖母が僧侶となったお寺への寄付金として大金は消えていたのだろうと推測する。

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