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英語で「考え」られても「感じ」られないのは本当だった!

今日自分としては大発見をしたので久しぶりにNoteを。

以前こんな記事を書いた。

けれど高校卒業時まで日本で生まれ育った後天的バイリンガルの私にとって、英語はやっぱり”ツール”止まりであり、自分の感情と密に結びついている言語ではないんだと最近改めて感じている。英語と感情の間には、なにかしら薄い壁のようなものがあって(それは思考や、知識なのかもしれない)、直接結びついてはいない。
<中略>
やはり自我の発達以前から使っている言語と、自我が発達した後に習得した言語では、脳の使い方は違う気がする。英語で話すときは、まるで自分の中に第三者がいるみたいなのだ。

今日なにげなくTED edを見ていたら、バイリンガルについての動画が表示されたのでクリックしてみた。そうしたらこれを裏付けることが2015年の動画で説明されているではありませんか。

”子供の場合は左脳右脳どちらも使用して言語を習得し、大人の場合は片方の使用が優位となる(通常は左脳)。なので成人になって第二言語を学んだ人は母国語に比べて感情によるバイアスにとらわれず理性的に処理できる”とのこと。

やはり英語で考えている時の私の脳は、圧倒的に左脳優位で自分の感情との結びつきが乏しく、だからより理性的に考えられるが、セラピーなどでは英語で話すのはとても難しいのだな。

もう割と知られていることなのかもしれないけど、私としてはかなり腑に落ちたので久しぶりに書き留めておこうと思いました。

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