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勝手に物語を作らないで。きちんと聴いて、きちんと話そう

この数日間、「他人の物語を勝手に作らない」ということを幾度となく考えていた。

きっかけは、石田ゆり子さんのインスタや、幡野広志さんのツイッターを見て、自分の過去の経験も思い起こされたことにある。

ある出来事について、自分だったらどう受け止めるのか。そう考えるのは個人の自由だ。

でも、自分がこう受け止めるから他の人もそう思っているに違いない。そう思い込み、それを他者に強要することはとても危険な考え方なのだと改めて思った。

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石田ゆり子さんや幡野さんのツイッターを見てあまりに心がざわざわしたのは、程度の差こそあれ、私自身も自分の思い込みを無意識に他人に強要しているかもしれないと思ったからだ。


実際に以前だって、Queer Eyeという番組の中で、依頼人の男性(ウェズリー)が自分を射撃し下半身不随にさせた相手に会った時、私はその相手に対して「謝るのが当然」と思っていた。

けれど、ウェズリー自身は相手に対して「謝罪は必要ないと思う。むしろ申し訳ないと思って欲しくない。僕をこのポジションに置いてくれてありがとう。」と言った。


もし私がその場にいて、ウェズリーに「あなたは彼のせいで下半身不随になったんだ、彼に謝ってもらうべきだ」と言ったら?

ウェズリーがこの8年間をかけて学んだ事、彼の設立したNPOや数々の活動、彼が今大事にしていること、全てを無視することになる。


他人の物語を自分で勝手に作り上げることは、相手の背景や機微を知ろうとしない、敬意に欠ける行為なのだということを自分にさらに強く言い聞かせた。

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自分で相手の物語を勝手につくりあげることは、人間関係の中で様々な誤解を招くことにもなる。ラブストーリーでよく見る”すれ違い”も、お互いが自分自身の物語を勝手に作り上げているわかりやすい例だ。


Netflixで放送されているブレネー・ブラウンのトーク”勇気を出して”の中で、とても印象的だった話がある。

ブレネーは自身が休暇中に家族で湖に行ったことを話した。泳いでいるときに何度も自分の言うことを無視する夫に対して、ブレネーは(彼は自分に魅力がないと思ってるんじゃないか、老いた水着の私を見て失望したんじゃないか)と考えた。

実際は、彼は水中でパニック・アタックに陥っていて、彼女の話を聞く余裕なんてなかっただけなのに。


ブレネー曰く、人は何か辛いことがあると自己防衛の為に脳が勝手に物語を作り出すらしい。

きっと誰でも皆、少なからず思い当たることがあるんじゃないだろうか。例えばメールの返信が返ってこない時、(あんなこと言ったから嫌われたのかも!)と思ったり。

私自身もブレネーと同じく、自分の中で思い込んでいた物語と、相手の物語がかけ離れていたということがある。


ブレネーは、このトークの中でマジックワードとしてこんな言葉を言っている。

it's just the story I'm telling myself (これは、ただ私が自分自身に語っている物語なのよ)

自分の中にある物語は自分自身だけのものであることを自覚するということは、客観的に状況を見つめるだけでなく、相手が持っている物語に対して敬意を持つことにもなる。


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他人が持っている物語や、気持ちなんて簡単にはわからない。

そのことを忘れないためにも、この言葉を自分の中のマジックワードとしていつも問うことにしよう。

This is the story I'm telling myself.... and what is your story? (これは、私が自分自身に語っている物語・・・それであなたの物語は?)

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